青松寺

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文明8年太田道灌が開基し、慶長5年現在地に移りました。墓地は愛宕山に続く高台にあり、入り口近くに人の形に作られた槍持勘助の墓があります。槍持勘助(本名芦田義勝)は、美作津山藩(岡山県)主松平越後守宣富の足軽で、当時越後守の槍はとても長くて重く、倒せば打ち首になるという大変な代物。これを持つ苦労を後に残すまいと、義きょう心の強い勘助は槍の柄の下方を切り、自ら切腹して果てました。元禄14年9月のことであったといわれています。松平家では再び切られるのを恐れて、槍の柄に鉄の筋金を入れたといいます。勘助の墓は奴地蔵とも呼ばれ、下の病によく効くと願をかける人が増え、全治した人は竹筒にお酒を入れてお礼をしたといわれます。広い境内には都旧跡に指定されている江戸時代の儒者、井上金峨の墓や法輪大観音像、竹林、湧水などがあります。

交通手段日比谷線神谷町駅3番出口より徒歩8分、三田線御成門駅A5出口より徒歩5分 JR新橋駅より徒歩15分、浜松町駅より徒歩20分、東急バス東98・都営バス東98 慈恵会医大前下車目の前
URLhttps://seishoji.jp/

アクセス情報

東京都港区愛宕2-4-7
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