浅野内匠頭終焉の地

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江戸時代、この辺りは奥州一之関藩(岩手県)田村右京太夫の上屋敷がありました。内匠頭は江戸城松の廊下での刃傷沙汰があったその日のうちに、この屋敷で切腹させられました。上野介を打ち取れなかった無念の思いを、辞世の句「風さそう花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん」に託して。日比谷通りに面して「浅野内匠頭終焉之地」の碑が建っています。

アクセス情報

東京都港区新橋4-31付近
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