齋藤茂吉居住跡歌碑

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青山を舞台に数多くの歌を詠んだ茂吉ですが、その歌碑が近くの高級マンションの駐車場脇にあります。「あかあかと一本の道通りたり霊剋(たまきは)る我が命なりけり」 この句は、大正3年に発表されました。前年には母と恩師伊藤左千夫の死去があり、身辺に悲傷事が相次ぎましたが、歌風はそれにともなって一飛躍をみせたといわれています。赤い太陽が照りつける、この一本の道を僕たちは歩まねばならない…。当時の青山の景観に重ね合わせた茂吉自身の心境がうかがえます。歌人として評価を得ながらも、病院再建のために心を砕いた茂吉ですが、一度青山を離れてからは、昭和28年72歳で亡くなるまで戻ることはありませんでした。

茂吉は病院経営のかたわら、童馬山房と称し短歌の創作に専念しました。

アクセス情報

東京都港区南青山4-17-43
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