ヒュースケンの墓/光林寺

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安政3年(1856)7月ハリスとともに下田に着き、その片腕として日米修好通商条約締結交渉に活躍したオランダ人ヒュースケンの墓(区史跡)があります。アムステルダムで生まれたヒュースケンは渡航先のアメリカで、ドイツ語、フランス語等もできる語学力をハリスにかわれて日本に赴任しました。陽気闊達な気質と日本の国情に精通した見識で、江戸に滞留する外国人間で知名士でしたが、プロシア使節と日本人側との通訳として通っていた赤羽根接遇所からの帰り道、中の橋のたもとで刺客の一団に襲われました。1861年1月15日のこと。享年28歳。また、昔都下第一の名花とうたわれたという老桜は今はないが、春になると境内の桜、木蓮が見事な花を見せてくれます。

アクセス情報

東京都港区南麻布4-11-25
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