善光寺
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信州善光寺別院。慶長6年(1601)徳川家により谷中に信州善光寺の別院として設けられましたが、火事で焼失したため、現在の青山に移されました。境内には勝海舟の撰文による高野長英の碑、明治初期に人力車を発明した和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の功を伝える人力車発明記念碑があります。また、本堂には信州と同じく戒壇めぐりがあります。高野長英は幕府の対外政策を封刺した「夢物語」を書き投獄されましたが、伝馬町獄舎炎上を機に逃げ、各地を潜行しました。顔を焼いて人相を変え、沢三白という偽名を使っていましたが、青山の隠れ家で捕まりそうになり自害しました。隠れ家及び自決の地には現在青山スパイラルが建っています。山門である仁王門には「智」をあらわす仁尊像が安置されています。