新橋赤レンガ通り
マイルートに追加
新橋2丁目から6丁目まで続く通り。名前のとおり、道路にはレンガタイルが敷き詰められています。
明治5年の和田倉門外から起きた火災で、銀座、築地一帯が焼失してしまい、明治政府は東京府に対し火災を免れるためレンガを使って建築する方針を決定しました。その後、新橋赤レンガ通りに、赤レンガ造りの『清隆館』という勧工場が出来たことが名前の由来といわれています。
新橋2丁目から6丁目まで続く通り。名前のとおり、道路にはレンガタイルが敷き詰められています。
明治5年の和田倉門外から起きた火災で、銀座、築地一帯が焼失してしまい、明治政府は東京府に対し火災を免れるためレンガを使って建築する方針を決定しました。その後、新橋赤レンガ通りに、赤レンガ造りの『清隆館』という勧工場が出来たことが名前の由来といわれています。