志賀直哉居住の跡
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六本木駅から俳優座劇場を通り過ぎ、三河台公園の近くに「志賀直哉居住跡」があります。「小説の神様」とも称された志賀直哉は、14歳からの15年間、多感な青春時代をここで過ごしました。屋敷は1682坪という広大な敷地内にあり、旧地名では麻布三河台町。いまは大手企業の社宅やマンションが建てられています。現在も公園やマンションに「三河台」の名が冠されています。その辺りを道路沿いにぐるりと歩くと、反対側には東京ミッドタウンがあり、道路を隔ててきれいに整備された檜町公園が広がります。直哉は、この屋敷で処女作である「或る朝」をはじめ、「網走まで」「正義派」「大津順吉」など初期の作品を書きました。