偏奇館跡

マイルートに追加

作家永井荷風が大正9年から昭和20年の空襲で焼けるまで25年間住んだ所。偏屈な変わり者を自認し、ペンキ塗り木造2階建ての洋館をもじって偏奇館と命名しました。江戸情緒を懐かしみ、「すみだ川」「日和下駄」などの作品を残しました。明治43年、31歳の時、森鴎外(もりおうがい)の推薦で慶應義塾大学の教授となり、「三田文学」を創刊、主宰しました。昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失してしまいました。

アクセス情報

東京都港区六本木1-6-1 いずみ通り側
スポットを追加するルートを選んでください。
×
  • 新しいマイルートを作成