杉田玄白の墓/栄閑院
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通称猿寺と呼ばれる同寺に、杉田玄白の墓があります。杉田玄白(1733〜1817)は江戸中期のオランダ外科医で、蘭学の祖。中川淳庵、桂川甫周、前野良沢と4年の歳月をかけオランダの解剖書を翻訳し、「解体新書」を刊行しました。その時の苦心の思い出を文化12年(1815)83歳の時「蘭学事始」に書いています。栄閑院は、通称『猿寺』と呼ばれ、寛永の頃(1624〜1643)、猿回しに扮した泥棒が寺に逃げ込み、住職に改心させられ猿を置いて諸国行脚に旅立ち、人に慣れた猿は寺の人気者になったことに由来します。