プロシア公使館跡
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江戸幕府は、慶応元年4月から、プロシアの外交使節の宿舎として、芝日本榎の広岳院をあてていましたが、翌慶応2年3月、麻布仙台坂脇のこの場所にあった春桃院(現在は南麻布に移転)に移しました。公使館として使用された建物は、本堂続きの127坪(419.1㎡)および山寄りの51坪(168.3㎡)の建物であったという記録が残されています。
江戸幕府は、慶応元年4月から、プロシアの外交使節の宿舎として、芝日本榎の広岳院をあてていましたが、翌慶応2年3月、麻布仙台坂脇のこの場所にあった春桃院(現在は南麻布に移転)に移しました。公使館として使用された建物は、本堂続きの127坪(419.1㎡)および山寄りの51坪(168.3㎡)の建物であったという記録が残されています。