【動画記事】「岡本太郎記念館」で天才芸術家・岡本太郎の情熱ほとばしるパワーをもらおう!
大阪の万博記念公園に立つ《太陽の塔》や渋谷マークシティに展示されている《明日の神話》などの代表作で知られ、20世紀の前衛芸術に大きな影響を与えた天才芸術家・岡本太郎。彼が晩年までの40年以上を過ごした自宅兼アトリエが東京・港区にあることを知っていますか。その建物は現在「岡本太郎記念館」として公開されており、往時のままを留めた空間と数々の作品を通じて岡本太郎の実像がリアルに感じられるスポットになっています。「芸術は爆発だ」の名言で知られ、芸術に魂を注ぎ込んだ岡本太郎。そのパワーを感じようと南青山の同館を訪ねました。
天才芸術家・岡本太郎が晩年まで暮らした生活と芸術の拠点
東京メトロ・表参道駅A5出口から徒歩約7分、南青山6丁目の表通りから入った一角にある「岡本太郎記念館」。TAROのサインが添えられた巨大な「目のマーク」が目立つ建物は、岡本太郎の自宅兼アトリエである旧館と、彫刻アトリエと書庫があった場所に再建された新館が繋がる形で建っています。旧館の設計を担当したのは、20世紀近代建築の世界的巨匠であるル・コルビュジェに師事し、日本のモダニズム建築をリードした建築家・坂倉準三。どちらの建物も屋根のファサードが岡本作品の代表的題材である「目のような独特な形」をしているのが特徴です。
入館前に岡本太郎の生涯をざっくり紹介しましょう。漫画家の父・岡本一平と小説家の母・岡本かの子の長男として明治44年(1911)に神奈川県の橘樹郡高津村(現・川崎市高津区)で生まれた岡本太郎は、東京美術学校(現・東京藝術大学)在学中の18歳の頃に父親のロンドン出張に伴ってヨーロッパへ渡ります。その後、約10年に渡ってパリで芸術活動を行いながら、ピカソの絵画に感銘を受けたり抽象芸術やシュールレアリズムの画家と親交を深めるなどして、後に日本の前衛芸術を牽引する鋭い感性を磨きました。
その後、第二次世界大戦の煽りを受けて昭和15年(1940)に帰国。まもなくして日本軍に招集されて太平洋戦争の中国戦線へ出征します。戦後は中国での半年間の俘虜生活を経て昭和21年(1946)に復員。芸術活動を再開し、世田谷を拠点に活動した後、昭和29年(1954)にかつて両親と過ごしたこの地に自宅兼アトリエを構えました。以降、平成8年(1996)に生涯を終えるまで約45年に渡ってここで暮らし、ここから数々の作品が生まれたのです。
実物大の“太郎さん”にも逢える!? サロン&アトリエ
自宅兼アトリエをベースとするこの記念館は、実際の生活空間と数々の作品を通じて芸術家・岡本太郎の実像がリアルに感じられるスポットです。入館して受付を済ませると、まずは《縄文人》の彫刻が来場者を迎えてくれます。パリで民俗学を学んでいた岡本太郎は、戦後、上野の東京国立博物館で見た縄文土器の造形に衝撃を受け、それまで考古学の資料としか見られていなかった縄文土器の中に美術品としての価値を見出しました。
そして入場口を上がって右手にある旧館の2部屋が、岡本太郎の暮らした空間です。まず見られるのは応接や仕事の打ち合わせなどに使われたサロンです。岡本太郎が暮らした当時の面影を残した空間には、《太陽の塔》や《坐ることを拒否する椅子》など、彼の作品がところ狭しと集められています。
向かって右手にある《手の椅子》の上には、生前の様子を想像させるかのように太郎と、彼の養女で生涯のパートナーだった岡本敏子の肖像。一方で左手にも「あれ、本物の太郎さん?」と思わせる立体的な岡本太郎の姿が…。実はこれ、実寸大で作られた岡本太郎のマネキン。何と本人自らシリコンの中に入って型を取ったという驚きの代物なのです。
ちなみにスタッフの方の話によると、現在は南側が入り口になっていますが、かつては北側が玄関だったそう。そして一般公開されていない旧館2階には、執筆活動を行うリビングやキッチンが今も当時のまま残されているといいます。玄関からこの日当たりの良い部屋に通されて、太郎さんが「ようこそ!」って迎えてくれたのかなぁ…なんて思うと、ここで生まれた会話にさまざまな想像が膨らみます。
その奥にある吹き抜けの部屋は、数々の絵画が生み出されたアトリエです。棚の中には記念館が所蔵する膨大な量のキャンバスが収められています。その中には未完成のままのものや、完成している絵の上に別の絵を“上書き”したようなものもあるといいます。昭和29年以降の油彩画のほとんどがここで描かれ、《太陽の塔》の構想もここで練られていたといいます。
テーブルの上の筆や絵の具が飛び散った床など往時のままを留めた空間は、まるで岡本太郎の呼吸が今も感じられるかのよう。それでいて見る側の感性をビジバシと触発してくるようなパワーが充満しています。さらに2階の本棚には難しそうな本がびっしりと詰まっていたり、入り口横には意外な(?)特技だったピアノがあったりと、岡本太郎の世界がひとつの空間の中に凝縮されています。
なお、坂倉準三がこの岡本太郎邸を設計したのは、パリ時代に深めた二人の親交がきっかけだったそう。設計にはほとんどリクエストを出さなかったという太郎でしたが、日差しの向きに左右されずに作業へ没頭できるようアトリエの窓は北側に作って欲しいと要望したといいます。
最後の最後まで岡本太郎の揺るぎないこだわりを実感
有名なポートレートが飾られた階段を登った新館2階は企画展の展示室。こちらでは毎回多彩なテーマで岡本太郎の作品を存分に味わうことができます。11月14日までは「顔は宇宙だ。」という企画展を開催中。生涯、数々の“いのち”を描いた岡本太郎にとって「顔」はどの作品にも登場する重要なモチーフでした。ここでは油彩画だけでなく、仮面や陶芸作品などの作品も展示。さまざまな「顔」に囲まれながら岡本太郎の世界に包み込まれます。
館内を見終えた後は旧館前の庭園へ。数々の熱帯植物が生い茂る庭園の中にも、まるでかくれんぼをするかのように数々の岡本太郎作品が点在しています。頭上のベランダからも、太陽の塔らしき姿がひょっこりと顔を出していてかわいい!
ちょっとした豆知識を付け加えると、実はこの庭には花を咲かせる植物がありません。「椅子というのは座りやすい形をしているが、それは人間に媚びている」と言って《坐ることを拒否する椅子》を作った岡本太郎。花についても「綺麗な花は人間に媚びている」と言って庭に置くことを嫌ったそう。最後の最後まで岡本太郎の揺るぎないこだわりを感じさせられました。
実際に訪れて感じたのは、岡本太郎の生前には生まれていないであろう若い来館者が多いこと。今もテレビや雑誌でたびたび特集が組まれ、時代を越えて人々の関心を惹きつける岡本太郎という作家の凄みを感じさせられました。情熱ほとばしる作品とそれらが生み出された空間に元気がもらえる「岡本太郎記念館」。見学後は個性豊かなTaroグッズをぜひおみやげに。近くには日本美術と東洋美術の名作が見られる根津美術館やおしゃれな雑貨店が集まる骨董通りなどもあるので、一日丸ごとアートな南青山を楽しんでみて。