観光

港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。

鳥居坂

東京都港区六本木5-11と5-12番の間

江戸時代のなかばまで、坂の東側に大名鳥居家の屋敷がありました。元禄年間(1688~1703)ごろ開かれた道です。

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潮見坂

東京都港区三田3-2と4-14の間

坂上から芝浦の海辺一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたため、この名がつけられました。

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中村草田男の句碑(青南小学校内)

東京都港区南青山4-21-15

「降る雪や明治は遠くなりにけり」――青南小学校正門内の校舎前庭にある、俳人・中村草田男の句碑です。この句は昭和6年、大学生だった草田男が訪問した際に詠んだもので、草田男の代表句です。句碑も昭和52年、青南小創立70周年記念として建立され、除幕は草田男自身の手で行なわれています。草田男は中国、東京、松山と引っ越しを繰り返しましたが、小学校時代の大半は赤坂区青南尋常小学校(のちの青南小学校)に通学しました。その後、20年ぶりに母校を訪れ変わらぬたたずまいに安堵しますが、雪が降り出すとともに校庭に外套を着た子どもが現れるのを見て、着物に下駄だった自分のころとの隔たりを感じたのでした。

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中華人民共和国大使館

東京都港区元麻布3-4-33

東京メトロ日比谷線の六本木駅で下車し、テレビ朝日通りを南へ徒歩約10分のところにあります。HPでは、文化交流や留学生交流のニュース、中国の文化や観光情報を見ることができます。

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竹芝桟橋

東京都港区海岸1-16-3

公園内に幕末に日本人の漂流漁民を伊豆諸島沖で救ったニューヨークの捕鯨船・マンハッタン号の救助の碑があります。眼前には、黒船襲来に備えて築いた品川第3・第6台場が見えます。

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弾正坂

東京都港区赤坂4-9と4-18の間

西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったために名づけられました。

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丹波谷坂

東京都港区六本木3-5と3-6の間

元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といいました。明治初年この坂を開き、谷の名前から坂の名称としました。

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丹後坂

東京都港区赤坂4-2と4-5の間

元禄元年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸がありました。

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狸坂

東京都港区元麻布2-11と3-13の間

人をばかす狸が出没したといわれます。旭坂ともいうのは東へのぼるためでしょうか。麻布七不思議のひとつ一本松を目印に四つの坂に分かれ、狸が出たという『狸坂』と七福神のひとつ大黒天をまつる大法寺がある『大黒坂』、樹木が生い茂り昼でも暗かったという『暗闇坂』、松にちなんだ『一本松坂』をずっと上ると七福神の毘沙門天をまつる氷川神社前に出ます。

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狸穴坂

東京都港区麻布台2と麻布狸穴町の間

まみとは雌ダヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、昔その穴(まぶ)が坂下にあったといいます。採鉱の穴であったという説もあります。

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狸穴公園

東京都港区麻布狸穴町63

イス型ブランコは小さい子も安心して乗れるので人気があります。大通りから少し奥に入るので静かです。遊具の周りに緑があって小道を探検したりできる公園です。 この公園には彫刻のある街づくり事業に基づいて設置された「風水の刻」の噴水があり、噴水池の周りに設置されているベンチに腰掛けて一休みしていたり、読書にふけっている人の姿が見られます。また、20年の3月に公園東側の斜面地に、セイヨウアジサイとカシワバアジサイに加えて「隅田の花火」や「恋路ヶ浜」など7種類の品種もののアジサイを植栽しました。

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大法寺

東京都港区元麻布1-1-10

大法寺では、大黒天を祭る縁日が「子の日」に開かれていましたが、現在はなくなってしまいました。寺の前の坂は、大黒天が祭られていることから大黒坂と呼ばれています。 地元では「一本松の大黒様」として親しまれている大法寺には、福徳開運・財産授与のご利益があるという「大黒天」が祀られています。節分には盛大な豆まきが行われます。

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大納骨堂(舎利殿)

東京都港区芝公園4-7-35

大納骨堂は昭和8年に建立され、御本尊は地蔵尊像です。戦災の難を逃れた数少ない建造物で、昭和55年に現在地に遷座、開眼供養が厳修されました。

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大殿

東京都港区芝公園4-7-35

昭和49年、浄土宗大本山の念仏の根本道場として、様々な儀式法要が行えるよう斬新な設計と意匠で、戦災に遭い焼失した本堂が再建されました。本堂のご本尊阿弥陀如来(室町期製作)は、両脇壇に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られています。

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大倉集古館

東京都港区虎ノ門2-10-3

高層ビルの林立する虎ノ門オフィス街の一角、ホテルオークラとアメリカ大使館の間を通る霊南坂を登ったところにある大倉集古館は、日本最初の私立美術館です。平安時代の「古今和歌集序」「木造普賢菩薩騎象像」、鎌倉時代の「随身庭騎絵巻」の国宝3点をはじめ、重要文化財12点、重要美術品44点以下1700点余の美術品を収蔵しています。現在の建物は昭和3年に建てられ、国の登録有形文化財になっています。2階展示室の天井には龍が、柱の上のほうには幻の動物が彫刻されているなど、館内で散見する意匠にも注目。庭園に足を伸ばすと、羽織袴の大倉喜八郎翁の大きなブロンズ像があります。館の裏手にまわると、顕彰碑や喜八郎の歌碑、中国の古い時代の塔などが数多くありますから、野外展示の説明書を頼りに散策してみましょう。 庭園には、たくさんの顕彰碑や喜八郎の歌碑、中国の古い時代の塔などがあります。野外展示の説明書は展示館でもらえます。

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大石良雄ほか16人忠烈の跡

東京都港区高輪1-6-25

討ち入り後に大石倉之助良雄ら浪士17人がお預けとなった、熊本藩細川越中守の下屋敷跡。明治から大正にかけては、高輪御所、東宮御所になった時期もあります。切腹場所として伝えられる庭の一部が塀に囲まれ保存されていて、非公開ですが扉のすき間からのぞくことができます。

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大信寺

東京都港区三田4-7-20

別名「三味線寺」とも呼ばれており、これは、三味線の始祖とされる「石村近江墓」があったことに由来しています。

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大黒坂

東京都港区元麻布1-1と1-2の間

大国坂とも書きます。坂の中腹北側に大黒天(港区七福神のひとつ)をまつる大法寺があったために呼んだ坂名です。

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大横丁坂

東京都港区西麻布3-16と3-17の間

江戸時代、この付近を俗に大横丁と呼んでいたことからこの名がつきました。富士見坂とも呼ばれていたといいます。

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台場公園

東京都港区台場1-10

ペリーの黒船再来航に備えて東京湾上に作られた7つの砲台のうち、大正12年第三台場を修復して海上公園となりました。海に浮かぶ四角い形は台場らしさが感じられます。砲台の跡が残っている園内からは、レインボーブリッジが間近に見ることができます。 台場公園には、50年ほど前に静岡県韮山町の中学生や、東京都福生市の小学生が、台場築造100周年を記念して植樹したといわれる、ソメイヨシノとオオシマザクラが植えられています。

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増上寺前日比谷通り沿い

東京都港区芝公園4

日比谷通りに面して増上寺の旧方丈門(黒門)、三解脱門、有章院霊廟二天門、旧台徳院霊廟惣門などが並んでいます。

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城山トラストコート遊歩道

東京都港区虎ノ門4-3-2

周辺の遊歩道はジョギングやペットの散歩等にも適しており、ファミリーにもお薦めです。

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鐘楼堂

東京都港区芝公園4-7-35

最初の鐘楼堂は寛永10年に建立されましたが、現在の鐘楼堂は戦後の再建によるものです。鐘楼堂に収められている大梵鐘は、あまりに大きいため、7回の鋳造が必要でした。鐘楼堂は江戸3大名鐘の一つとされています。朝と夕べ、2回の鐘の音は、時を告げるだけではなく、人を惑わす 108の煩悩を浄化し、人々の心を深い安らぎへと導く6度の誘いでもあります。江戸時代の川柳には次のようなものがあります。「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」・「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」・「西国の果てまで響く芝の鐘」。

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松岡美術館

東京都港区白金台5-12-6

清次郎は80歳を契機に「これまで自分のためだけに蒐集してきた美術品を一般公開し、広く愛好家に楽しんでいただこう」と美術館設立を決意し、昭和50年(1975)11月、東京港区新橋の自社ビル内に「松岡美術館」を創設しました。その後もコレクションは増え続けたため、東京両国にビルを建設し、その中に規模の大きな新美術館を入れる計画を立てていましたが、志半ばにして亡くなりました。遺志を継いだ遺族が選んだ場所は、お気に入りだった港区白金台の自宅でした。平成12年(2000)4月に新美術館が完成し現在に至っています。 ※2019年6月2日(日)より所蔵作品の修復調査、設備点検のため、長期休館しております。

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承教寺

東京都港区高輪2−8−2

山門に「二本榎の碑」があります。昔、旧東海道を旅する人の一里塚として、上行寺(現在の明治学院体育館)門前に大きな2本の榎があったため、この地を二本榎と呼ぶようになったそうです。承教寺の前の狛犬(こまいぬ)と並んでいます。狛犬もかわいらしい表情です。

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