観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
毛利庭園
東京で最も新しい街『六本木ヒルズ』の敷地には、江戸の末まで毛利甲斐守邸がありました。面積4300平方メートルという広大な敷地は、池を中心に、滝、渓流、川のせせらぎや桜、イチョウといった木々が配置され、春には桜、秋には紅葉と、季節ごとの風情が楽しめます。 回遊式の日本庭園を散策しながらのお花見は格別です。 都心にいながら、本格的な回遊式日本庭園を散策することができます。 クリスマスイルミネーション(12月)
明治坂
むかしから存在していた道であるが、明治坂と呼ばれたのは、大正初年からであると伝えられます。
明治学院大学
明治19年10月創立。初代総長となったヘボン博士はローマ字の考案者。はじめ横浜の塾で、婦人とともに大村益次郎や高橋是清などの塾生に英語を教えていました。博士は日本最初の和英辞典を著したが、その著作権譲渡代金約1万円で、木造4階建、中央に5階にあたる塔がそびえていたというヘボン館が建てられました。ヘボン館は明治44年9月21日焼失したが、奇しくも同日、アメリカで暮らしていたヘボン博士も死去しました。島崎藤村らが明治24年に植え、ライシャワー博士が少年時代にイニシャルを彫りつけたという記念樹楠の木は、昭和43年枯れたため切り倒され、島崎藤村が学んだサンダム館も失われましたが、インブリー館(国重要文化財)、記念館(区)、ヴォーリス設計の礼拝堂(区)、昭和12年建の島崎藤村作詞作曲、自筆による校歌の碑は現存しています。
名光坂
ホタルの名所で名光の地名ができたといいます。転じナコウと読み、那光坂とも書きました。東側下に明治までの名光坂が残ります。
麻布運動場
「元麻布二丁目」のバス停すぐに「麻布運動場」があり、軟式野 球場とテニスコート4面が整備されています。
麻布いーすと通り
東麻布1丁目から2丁目まで続く通り。東麻布商店会の商店などが並んでいます。
本氷川坂
坂途中の東側には、本氷川明神があって坂の名になりました。
堀田坂
江戸時代には、大名堀田家の下屋敷に向かって登る坂でした。
北里研究所病院
日本最初の伝染病研究所は明治25年10月芝公園の福沢諭吉邸の一角に誕生。「世界の北里」の才能が日本において埋もれるのを憂えた福沢諭吉が北里柴三郎に提供したものでした。その後国立となり白金台に移転しましたが、大隈内閣が研究所を内務省から文部省へ移管したのに反対し、所長の北里とともに仝所員が辞職しました。大正3年11月北里が私財を役じて創立した北里研究所がこの地に完成。コッホ誕生にちなんで12月11日開所しました。
北条坂
坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があったために、この名がつきました。
放送記念碑
ここは大正十四年三月二十二日わが国最初の放送電波が発せられたゆかりの地です。 東京放送局が、当時ここにあった東京高等工芸学校の図書室を仮放送所としてラジオ第一声を送り出しました。 この放送発祥の地に、放送開始三十周年を記念して「放送記念碑」を建立したものです。
偏奇館跡
作家永井荷風が大正9年から昭和20年の空襲で焼けるまで25年間住んだ所。偏屈な変わり者を自認し、ペンキ塗り木造2階建ての洋館をもじって偏奇館と命名しました。江戸情緒を懐かしみ、「すみだ川」「日和下駄」などの作品を残しました。明治43年、31歳の時、森鴎外(もりおうがい)の推薦で慶應義塾大学の教授となり、「三田文学」を創刊、主宰しました。昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失してしまいました。
仏足石
仏足石は、仏の足の裏の形を石に彫り付けたものです。インドでは仏像が刻まれる以前は仏足石や菩提樹などで釈尊を象徴的に表し、人々はこれらを仏として礼拝していました。 この仏足石は、第70世福田行誠上人の代、山内宝松院松涛泰成上人の発願により明治14年5月に建石されたもので、側面には仏像、経文、由来などが刻まれています。
福沢・近藤両翁学塾跡
福沢諭吉の塾が、慶応4(1868)年に築地鉄砲洲から三田の現在地へ移転するまでの4年間、この芝新銭座にありました。
福吉坂
港区赤坂2丁目15番と17番の間を、北から南へ向けて上る坂道で、飲食店の入ったビルの間にある石段になっています。坂道の標識は設置されていませんが、赤坂福吉町会と福吉坂改修工事実行委員会が設置した「福吉坂石段の改修工事について」という金属製のプレートが坂上部に設置されており、この石段が「福吉坂」であることを示しています。このあたりが旧町名で赤坂福吉町と呼ばれていたことに由来し、この名がついたと言われています。
普光観智国師墓
観智国師は天文13年に武蔵国にて出生し、天正12年に増上寺の住職となりました。慶長15年に徳川家康の斡旋により国師号を授けられ、これ以後、観智国師とよばれたといいます。
埠頭公園(南極探検隊記念碑)
明治43年(1910)日本最初の南極探検隊が芝浦から出発した記念の碑が建っています。南氷洋を行く開南丸をイメージした船の遊具は全長25m、高さ12mの大きなもの。噴水池は南極大陸に見立てて造られていて、船上から見ると眼前の南極大陸からペンギンたちが出迎えてくれているようです。またプロ野球発祥(大正9年)にちなんで少年野球場が造られています。人工芝の野場には観覧席があり、ナイター照明もついています。
品川シーズンテラス
品川シーズンテラスは、NTT都市開発、大成建設、ヒューリック及び東京都市開発の民間事業者4社と東京都による、立体都市計画を活用した官民連携大規模開発事業です。低層階には、バラエティに富んだショップ&レストラン、カンファレンス、ホールを配し、建物に隣接した3.5haの広大な緑地には、四季折々の樹木や水辺の景観が調和した豊かなランドスケープを創出していることで、ビジネス拠点に潤いを与えると共に、コミュニティを育む場として地域社会に貢献していきます。
氷川神社(白金)
白鳳時代のころ、白金村の総鎮守として建立されたと伝えられています。祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)稲田姫命(いなだひめのみこと)大己貴命(おほなむちのみこと)です。社殿は、江戸時代中期の明和の大火(1772年)によって焼失し、江戸後期に再建。しかしその社殿も、昭和20年の空襲に遭い、昭和33年に現在の社殿を竣工しました。 鳥居をくぐり、30数段の石段を上がると本殿の左側には、開運・招福の神様「建武神社」が、右側には衣食住・守護の神様として「稲荷神社」があります。稲荷神社辺りには、子猫や子犬ほどの大きさのかわいらしいキツネの石像があります。
氷川坂
8代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂です。
氷川公園
この公園は、地下に駐車場がある人工地盤の公園です。平成11年に再整備しました。園内には、幼児たちの遊び場、バラ園、噴水など誰もが安心して気軽に利用できる快適な公園に生まれ変わりました。バラ園は毎年美しい花を咲かせます。(見頃は5月中旬と10月中旬)
尾崎紅葉生誕の地
「金色夜叉」などの小説で有名な紅葉は、慶應3年12月16日芝中門前2丁目25番地(現在の芝大門2-7-4)で生まれました。14歳のころから三縁山増上寺にちなんで「縁山」と号して投稿するなど早くから文学活動に進みました。17歳で仲間を集めて、日本最初の文学団体「硯友社」を結成、機関紙「我楽多(がらくた)文庫」が発行されました。19歳の夏、増上寺境内の紅葉山からとった紅葉を号にし、明治36年、36歳で他界しました。青山霊園に墓があります。
飯倉公園
飯倉保育園に隣接している多目的広場と遊具広場からなる公園です。毎日、子供たちの楽しそうな声があふれ、サラリーマンや付近の人々が憩う場所として親しまれています。平成19年に遊具広場をリニューアルしました。広場の周りを竹柵で囲って犬の散歩を禁止し、子供たちの安全と衛生面に配慮しています。広場一面に芝生を敷き、その上にカラフルな大型遊具やふわふわドームなどを設置し、小さい子供たちでも安心して走り回って遊べます。また、かまどベンチや災害用マンホールトイレを設置し、災害などの緊急時の避難場所としての機能も備えました。
畠山記念館
荏原製作所創立者畠山一清の茶器中心のコレクションを展示しています。かつては島津家の屋敷で、抹茶を供する設備もあり、武家屋敷の雰囲気を伝えています。国宝や重文を含む陶磁器、書籍、絵画など約1500点を所蔵。 春には庭園の桜が楽しめます。 ※2019年3月18日から施設改装工事のため、長期休館しております。
白金台どんぐり児童遊園
目黒通りに面し、国立自然教育園や東京都庭園美術館にほど近い児童遊園です。開放的な広場や築山があり、どんぐりのなる樹木もたくさん見られます。夏には水遊びが楽しめる「じゃぶじゃぶ池」があり子どもたちに大人気です。