観光

港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。

浪花家総本店

東京都港区麻布十番1-8-14

日本で初めてたい焼きを考案した店といわれ、ヒット曲『およげ!たいやきくん』のモデルとしても有名。あっさり味の餡がしっぽまで入るたい焼きは人気が高く、焼きあがりを待つ行列がなかなか途切れません。2007年から新店舗になり1階はたい焼き店、2階の飲食スペースは20席ほどで甘味・食事メニューもあります。

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霊南坂

東京都港区赤坂1-10と虎ノ門2-10の間

江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名を取りましたが、いつか嶺が霊となりました。

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龍澤寺(麻布区役所跡)

東京都港区元麻布3-10-5

明治11年7月22日の郡区町村編成法により、現在の港区域には赤坂区、麻布区、芝区が設けられました。麻布区の範囲は主に現在の麻布・六本木にあたります。龍澤寺には明治6年12月第二大区十二小の区務所が置かれていましたが、これを麻布区の区役所として明治11年11月4日に開庁することになりました。初代区長には前田利充が任命されました。開庁当時の戸数は7813戸、人口は 26000人余でした。昭和22年3月15日、赤坂区・麻布区・芝区が統合し、現在の港区が誕生しました。

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雷神山児童公園

東京都港区白金6-5-10

雷神山児童遊園は隠れた桜の名所です。もとは雷神を祀った雷(いかずち)神社があったそうで、それが雷神山の由来とか。かなり古い桜の木々が園内に大きく枝をのばし、かつては神社の参道だった桜並木が満開時には桜のアーチを形づくります。光林寺の境内では縦横無尽に枝を伸ばした桜が、毎年見事な花をつけます。この日は天候にも恵まれ、青い空に咲き誇る桜色が映えていました。

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有栖川宮熾仁親王の騎馬像

東京都港区南麻布5−7−29

有栖川宮熾仁親王の銅像は、南麻布の有栖川宮記念公園内の丘上の広場にあります。ここはもともと浅野家の下屋敷があったところで、のちに盛岡藩南部美濃守の屋敷になり、明治29年に皇族有栖川宮家の御用地になりました。熾仁親王はここで晩年を過ごす予定でしたが、居住することなく亡くなりました。熾仁親王の騎馬像は明治36年旧参謀本部構内に建立されましたが、昭和37年親王とゆかりの深いこの公園に移設されました。

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有栖川宮記念公園

東京都港区南麻布5-7

もとは忠臣蔵で有名な浅野家の下屋敷があったところで、自然を大切にした趣きのある日本庭園です。江戸時代に盛岡藩南部家の下屋敷になり、有栖川宮家・高松宮家の御用地を経て、昭和9(1934)年に当時の東京市に公園用地として下揚されました。園内には100本余りのサクラが植えられており、都立中央図書館横の案内板『有栖川宮記念公園の桜』にはソメイヨシノやサトザクラなど全11種類が紹介されています。 園内には、梅林、花菖蒲田があるほか、ハナミズキやアジサイなど季節の花が楽しめます。

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有章院霊廟二天門

東京都港区芝公園3-3

増上寺にある有章院霊廟二天門は重要文化財です。門の左右には神がいます。向かって右が北方を守る多聞天・左が西方を守る広目点です。仏教の護法神。

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幽霊坂

東京都港区三田4-11と4-12の間

坂の両側に寺院が並び、ものさびしい坂であるため、この名がついたらしいですが、有礼坂の説もあります。萩生徂徠の墓がある長松寺、御化粧地蔵がある玉鳳寺、朝顔塚がある随応寺などがあります。幽霊坂は東京中に多く7か所ほどもあります。

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薬研坂

東京都港区赤坂4-17と7-1の間

中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられました。付近住民の名で何右衛門坂とも呼びました。

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薬園坂

東京都港区南麻布3-10と3-13の間

江戸時代前期、坂上の西部に幕府の御薬園(薬草栽培所・小石川植物園の前身)がありました。なまって役人坂・役員坂と呼びます。

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木下坂

東京都港区南麻布5-7と5-8の間

北側に、大名木下家の屋敷があり、その門前に面していたために、呼ばれるようになった坂です。

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木の階段を利用したパブリックアート

東京都港区元麻布3-10

南山小学校坂下にある木の階段に、五十嵐威暢(たけのぶ)氏の「NUNO」をはじめパブリックアートが展示されています。

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毛利庭園

東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ内

東京で最も新しい街『六本木ヒルズ』の敷地には、江戸の末まで毛利甲斐守邸がありました。面積4300平方メートルという広大な敷地は、池を中心に、滝、渓流、川のせせらぎや桜、イチョウといった木々が配置され、春には桜、秋には紅葉と、季節ごとの風情が楽しめます。 回遊式の日本庭園を散策しながらのお花見は格別です。 都心にいながら、本格的な回遊式日本庭園を散策することができます。 クリスマスイルミネーション(12月)

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明治坂

東京都港区白金6-10と6-16の間

むかしから存在していた道であるが、明治坂と呼ばれたのは、大正初年からであると伝えられます。

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明治学院大学

東京都港区白金台1-2-37

明治19年10月創立。初代総長となったヘボン博士はローマ字の考案者。はじめ横浜の塾で、婦人とともに大村益次郎や高橋是清などの塾生に英語を教えていました。博士は日本最初の和英辞典を著したが、その著作権譲渡代金約1万円で、木造4階建、中央に5階にあたる塔がそびえていたというヘボン館が建てられました。ヘボン館は明治44年9月21日焼失したが、奇しくも同日、アメリカで暮らしていたヘボン博士も死去しました。島崎藤村らが明治24年に植え、ライシャワー博士が少年時代にイニシャルを彫りつけたという記念樹楠の木は、昭和43年枯れたため切り倒され、島崎藤村が学んだサンダム館も失われましたが、インブリー館(国重要文化財)、記念館(区)、ヴォーリス設計の礼拝堂(区)、昭和12年建の島崎藤村作詞作曲、自筆による校歌の碑は現存しています。

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名光坂

東京都港区高輪1と白金2の間

ホタルの名所で名光の地名ができたといいます。転じナコウと読み、那光坂とも書きました。東側下に明治までの名光坂が残ります。

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麻布運動場

東京都港区南麻布5-6-33

「元麻布二丁目」のバス停すぐに「麻布運動場」があり、軟式野 球場とテニスコート4面が整備されています。

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麻布いーすと通り

東京都港区東麻布

東麻布1丁目から2丁目まで続く通り。東麻布商店会の商店などが並んでいます。

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本氷川坂

東京都港区赤坂6-10と6-19の間

坂途中の東側には、本氷川明神があって坂の名になりました。

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堀田坂

東京都港区西麻布4-8と渋谷区境

江戸時代には、大名堀田家の下屋敷に向かって登る坂でした。

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北里研究所病院

東京都港区白金5-9-1

日本最初の伝染病研究所は明治25年10月芝公園の福沢諭吉邸の一角に誕生。「世界の北里」の才能が日本において埋もれるのを憂えた福沢諭吉が北里柴三郎に提供したものでした。その後国立となり白金台に移転しましたが、大隈内閣が研究所を内務省から文部省へ移管したのに反対し、所長の北里とともに仝所員が辞職しました。大正3年11月北里が私財を役じて創立した北里研究所がこの地に完成。コッホ誕生にちなんで12月11日開所しました。

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北条坂

東京都港区西麻布3と南麻布5の間

坂下近く南側に大名北条家の下屋敷があったために、この名がつきました。

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放送記念碑

東京都港区芝浦3丁目1−39

ここは大正十四年三月二十二日わが国最初の放送電波が発せられたゆかりの地です。 東京放送局が、当時ここにあった東京高等工芸学校の図書室を仮放送所としてラジオ第一声を送り出しました。 この放送発祥の地に、放送開始三十周年を記念して「放送記念碑」を建立したものです。

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偏奇館跡

東京都港区六本木1-6-1 いずみ通り側

作家永井荷風が大正9年から昭和20年の空襲で焼けるまで25年間住んだ所。偏屈な変わり者を自認し、ペンキ塗り木造2階建ての洋館をもじって偏奇館と命名しました。江戸情緒を懐かしみ、「すみだ川」「日和下駄」などの作品を残しました。明治43年、31歳の時、森鴎外(もりおうがい)の推薦で慶應義塾大学の教授となり、「三田文学」を創刊、主宰しました。昭和20年3月10日の東京大空襲で焼失してしまいました。

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仏足石

東京都港区芝公園4-7-35 増上寺内境内

仏足石は、仏の足の裏の形を石に彫り付けたものです。インドでは仏像が刻まれる以前は仏足石や菩提樹などで釈尊を象徴的に表し、人々はこれらを仏として礼拝していました。 この仏足石は、第70世福田行誠上人の代、山内宝松院松涛泰成上人の発願により明治14年5月に建石されたもので、側面には仏像、経文、由来などが刻まれています。

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