観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
麻布南部坂教会
1910年代に活動を始め、1920年に正式に教会として設立された。教会設立当初から附属の南部坂幼稚園を運営している。 1933年に建設された教会堂は、宣教師として来日したW.M.ヴォーリズによる設計。坂道という条件を生かして重層的に作られており、1階が幼稚園、2階が礼拝堂になっている。ヴォーリズによってデザインされた礼拝堂内部の壁と講壇の模様替が今も保持されている。 ドイツ大使館に隣接し、目の前は緑深い有栖川宮記念公園。公園内にある東京都立中央図書館に来たついでに教会を訪れる人もいる。
パナソニック汐留美術館
パナソニックの社業と関わりの深い「建築・住まい」「工芸・デザイン」などをテーマとした企画展を開催。ジョルジュ・ルオーのコレクションでも知られ、開館中は「ルオー・ギャラリー」で作品を見ることができる。
港区立伝統文化交流館
昭和11年に建てられた都内で唯一現存する木造建築の見番で港区の有形指定文化財施設です。伝統文化の継承と地域の交流の促進を目的として令和2年4月に開館した施設です。是非お立ち寄りください。
外務省外交史料館
別館展示室では、幕末から第二次世界大戦終結までの時期を中心に、日本外交の足跡を示す史料を常設展示しています。4月15日~7月9日には、特別展示「外交史料館50年」を開催し、代表的な所蔵史料を展示します。
ニコンミュージアム
ニコンミュージアムは、2017年に迎えたニコンの創立100周年を記念し、2015年にオープンした施設で、ニコンの各事業の歴史、製品、技術などを展示しています。迫力のカメラやレンズ約1000台の展示は圧巻です。 ※新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため2021年4月27日(火)から臨時休館しておりましたが、2021年6月8日(火)から再開いたします。 当面の間、休館日(月曜日)の追加、開館時間の短縮、入館登録制、人数制限ほか、感染拡大防止を考慮した運営は継続いたします。今後の新型コロナウイルスの感染状況、国や都などからの要請などによって、休館や新たな対策などを実施する場合があります。 詳細は下記URLより公式ホームページにてご確認ください。
東京ミッドタウン・デザインハブ
デザインのプロモーション・職能・研究教育を担う3機関が運営するデザインネットワークの拠点です。次世代の生活や社会への視座を提示する展覧会やセミナー等で人々をつなぎ、デザインを通して未来を共に考えます。
東京海洋大学マリンサイエンスミュージアム
東京海洋大学の品川キャンパス内にある博物館です。本館にはウミガメ、貝、エビやカニ、ラッコなど海の生き物の剥製や骨などの標本、漁具、練習船の模型などを、鯨ギャラリーには体長17 mのセミクジラの全身骨格標本を展示しています。 ※見学するには予約が必要です。予約方法はHPをご覧ください。
港区立みなと科学館
2020年6月に新しくオープンした科学館。身近なところにある科学を発見できる体験型の常設展示コーナー(無料)や科学の実験、プログラミングなどのワークショップを開催する実験室があります。また、プラネタリウムホールには、800万個の星を映し出す光学式投影機「オルフェウス」と4Kデジタル映像を同時に映し出せるシステムが備わっています。プラネタリウムでは、みなと科学館オリジナル番組「港区の時刻(とき)と星空散歩」といった港区の魅力を再発見できる番組や、港区観光大使の増田明美さんがナレーションをつとめる「深宇宙のかなたへー138億光年の旅」などを投影しています。毎時間の投影にてプラネタリウム解説員による星空の生解説もお楽しみいただけます。虎ノ門ヒルズ駅から徒歩4分の都会の真ん中で、科学にふれてみませんか。 気象庁・気象科学館も同じビルの中にあります。
紅ミュージアム
紅ニュージアムは、日本伝統の色「紅」の歴史と製法や日本の化粧文化を学び、体験できる施設です。 「紅」とはベニバナの花弁に僅かに含まれる赤色色素のこと。古くから染料や食品の着色料、絵具、そして化粧料などに用いられてきました。 文政8年(1825)に創業し、今に続く最後の紅屋・伊勢半本店が作る「紅」は、良質な証である玉虫色に輝きます。水で溶き玉虫色から赤色に変わる感動の瞬間は必見です。今や最後の一軒となった紅屋が、紅づくりの技とともに、「紅」や日本の化粧の歴史と文化をお伝えする場、それが紅ミュージアムです。
東京ポートシティ竹芝オフィスタワー
2020年9月14日開業した、竹芝の新たなランドマーク。 地上40階の大規模複合施設となっており、オフィスだけでなく、21店舗の飲食店や展示室、スタジオ、ホールなど様々な施設を備えている。 施設の象徴であるスキップテラスは、都心にいながら自然を感じることのできる憩いの空間となっている。 ビル全体に最先端テクノロジーを搭載した「スマートビル」として、オフィスワーカーの新しい働き方や、来館者の方の快適な利用を提案している。
WATERS takeshiba
WATERS takeshibaは、浜離宮恩賜庭園の目の前に位置する、自然豊かなウォーターフロントの複合施設です。 施設は地上26階建てのタワー棟、劇団四季の専用劇場2館が移設されたシアター棟、広場(プラザ)、10階建てパーキングで構成されます。 施設内には、オフィスのほかJR東日本グループの日本ホテル(株)とマリオット・インターナショナルが初提携したラグジュアリーホテル『メズム東京、オートグラフ コレクション』、「感性に遊び場を。」を提供価値に、新しい豊かさと好奇心を満たす空間を提供する商業施設『アトレ竹芝』、長きにわたり、竹芝の地で文化・芸術を培ってきた劇団四季の新しい専用劇場『JR東日本四季劇場[春][秋]』、水辺の立地を活かし整備した『竹芝地区船着場』、『竹芝干潟』などがあります。 今後も文化・芸術の発信拠点の機能を核に水辺などの立地条件を最大限に活かしたまちづくりを推進していきます。
饂飩坂
由来は芋問屋があったからという芋洗坂と、天明年間末頃までうどん屋があったためという饂飩坂。2つの坂が交わる辺りにしゃれた公衆トイレが建っています。
蜀江坂
坂上の丘を、紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだことからつけられました。ちなみに字名は卒古台でした。
笄坂
坂下を流れていた笄川の名からついた付近の地名によって、こう呼ばれるようになりました。
笄公園
この公園付近一帯は、今はなくなった「笄橋」にちなんで、「笄町」と呼ばれていました。ちなみに「笄」とは髪の手入れをする道具(かんざし)のこと。天慶の乱(939年)のとき、「笄橋」に関所を設け、交通を阻んだ者に対し、平安末期の源の武将が、刀に差していた笄を証拠として与えて、橋を渡ったという伝説や、国府方(こうがた)が笄になったとか、甲賀組、伊賀組のなまりとか、この地名の起源には諸説あります。昭和45年に港区立公園として開園した公園で、目の前に小学校もあり、木製の複合遊具やブランコなどで元気に遊ぶ子供たちと、ベンチに座ってそれを見守るお母さんたちの姿がよく見られます。
齋藤茂吉居住跡歌碑
青山を舞台に数多くの歌を詠んだ茂吉ですが、その歌碑が近くの高級マンションの駐車場脇にあります。「あかあかと一本の道通りたり霊剋(たまきは)る我が命なりけり」 この句は、大正3年に発表されました。前年には母と恩師伊藤左千夫の死去があり、身辺に悲傷事が相次ぎましたが、歌風はそれにともなって一飛躍をみせたといわれています。赤い太陽が照りつける、この一本の道を僕たちは歩まねばならない…。当時の青山の景観に重ね合わせた茂吉自身の心境がうかがえます。歌人として評価を得ながらも、病院再建のために心を砕いた茂吉ですが、一度青山を離れてからは、昭和28年72歳で亡くなるまで戻ることはありませんでした。 茂吉は病院経営のかたわら、童馬山房と称し短歌の創作に専念しました。
櫻田神社
櫻田神社は、霞ヶ関に建立後一時溜池に移り、寛永元年に現在地に移ったようです。昭和20年には戦災に遭いましたが、28年に復興しました。
檜町公園
江戸時代は長門萩藩の中屋敷で、檜が多かったので檜屋敷とも呼ばれていました。当時は清水亭という名園だったそうです。昭和40年港区の公園になり、公園に沿って檜坂があります。
檜坂
江戸時代には、大名堀田家の下屋敷に向かって登る坂になっていました。檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた長門萩藩毛利邸(檜町公園)に添っていました。
六本木交差点
六本木通りと外苑東通りとがまじわる交差点で、地下鉄六本木駅にも接続しています。待ち合わせの場所としても知られています。交番もあるので、道に迷ったら聞いてみましょう。
六本木けやき坂通り
六本木けやき坂通りは、六本木ヒルズの中心を貫く約 400メートルの通りです。けやき並木や花壇による四季折々の景観を作り出し、都内でも有数のお散歩コースとして知られています。美しい並木とファッショナブルなお店が並ぶ通りを歩けば、まるでドラマの主人公になったかのような気分になりますね。
浪花家総本店
日本で初めてたい焼きを考案した店といわれ、ヒット曲『およげ!たいやきくん』のモデルとしても有名。あっさり味の餡がしっぽまで入るたい焼きは人気が高く、焼きあがりを待つ行列がなかなか途切れません。2007年から新店舗になり1階はたい焼き店、2階の飲食スペースは20席ほどで甘味・食事メニューもあります。
霊南坂
江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名を取りましたが、いつか嶺が霊となりました。
龍澤寺(麻布区役所跡)
明治11年7月22日の郡区町村編成法により、現在の港区域には赤坂区、麻布区、芝区が設けられました。麻布区の範囲は主に現在の麻布・六本木にあたります。龍澤寺には明治6年12月第二大区十二小の区務所が置かれていましたが、これを麻布区の区役所として明治11年11月4日に開庁することになりました。初代区長には前田利充が任命されました。開庁当時の戸数は7813戸、人口は 26000人余でした。昭和22年3月15日、赤坂区・麻布区・芝区が統合し、現在の港区が誕生しました。
雷神山児童公園
雷神山児童遊園は隠れた桜の名所です。もとは雷神を祀った雷(いかずち)神社があったそうで、それが雷神山の由来とか。かなり古い桜の木々が園内に大きく枝をのばし、かつては神社の参道だった桜並木が満開時には桜のアーチを形づくります。光林寺の境内では縦横無尽に枝を伸ばした桜が、毎年見事な花をつけます。この日は天候にも恵まれ、青い空に咲き誇る桜色が映えていました。