観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
小原流会館
100年以上の歴史を誇る小原流では、初心者向けのビギナーズスクールを開講しています。初心者は現代にマッチした新しい型「花意匠」を学びます。ハサミの持ち方や花の名前など、いけばなの基本を学べる体験レッスンは、平日は18:00~と19:30~などに開催しているので、仕事帰りにトライしてみては。 できあがった作品は持ち帰りOK。骨骨董通リに立つ小原流会館の1階で開催しています。
勝安房邸跡
勝安房守(勝海舟)は赤坂で3度住居を変えており、ここは3度目。明治5年50歳の時から、明治32年77歳で没するまで住み、「氷川清和(ひかわせいわ)」や「氷川の音づれ」の舞台となりました。今も、海舟遺愛の大イチョウが残っています。 この地で、勝海舟は 36歳から40代半ばまで暮らしていました。坂本龍馬も刺殺しようとやってきました。
勝・西郷会見の地跡
JR田町駅近く、第一京浜沿いに西郷南洲の孫吉之助の筆による丸い碑が建っています。江戸城総攻撃を目前にした慶應4年3月13日、14日の両日薩摩屋敷において勝海舟と西郷隆盛の会見が行われ、歴史的な無血開城がなされました。この重要な会見の地については諸説があるようですが、13日の予備的会談は高輪の薩摩屋敷、14日の最終会談はこの碑の建つ田町の蔵屋敷で行われたようです。
渚橋
Aライン(北側:90.2m)とBライン(南側:81.2m)の2本からなる橋。平成16年4月14日共用開始。橋名は、田町駅から続く「なぎさ通り」にちなんでいます。
秋山庄太郎写真芸術館
東京・南青山の旧秋山庄太郎アトリエに「秋山庄太郎写真芸術館」が2007年6月24日にオープンしました。急逝の1か月前、秋山庄太郎は家族に「アトリエを美術館にするから手伝って欲しい。収集した絵画も展示したい」と相談しました。没後、遺族は厖大な量のフィルム整理に取り組みながら、ミュージアム設立準備を進めたそうです。建物は構造および運営上の理由から改装しましたが、基調は極力残すようにするとともに、写真家活動の拠点「秋山スタジオ」、東北における撮影拠点・アトリエ「山粧亭」の資材を随所に再利用しました。秋山庄太郎の諸作品の展示や写真芸術の普及活動等に取り組んでいます。
手まり坂緑地
手まり坂の上に丸みを帯びた形のスペースがあります。変わった形の赤いオブジェは、港区がアートプロジェクトの一環で、彫刻家・井上武吉氏に依頼した環境造形だそう。
手まり坂
愛宕山の南にあたり,青松寺の脇から青龍寺の前を通り,水道局芝給水所の先から永井坂に出て飯倉の交差点につながる坂です。上に行くほど広くなり,オランダ大使館の前は手まり坂と呼ばれ,曲折するところはまるで広場のようです。寛永のころに開かれたというこの坂下の一帯は寺参りの男女をあてこんだのか,民衆芸の小屋が並んで大変賑やかだったようです。
蛇坂
付近の藪から蛇の出ることがあったためと想像されている。
芝東照宮
寛永18年創建、祭神は徳川家康公。東照宮再建の時に三代将軍家光が植えたと伝える都の天然記念物の大イチョウが残り、戦災から再建された社殿には、生前の風貌をうかがわせる徳川家康座像(都有形文化財)が安置されました。
芝大神宮
社伝によると、平安時代の中ごろに伊勢宮の分霊をまつったといわれる都内有数の古社。芝大神宮という名称は明治以降のもので、それ以前は飯倉神明宮、芝神明宮などと呼ばれていました。芝の神明で思い出すのは、文化2年2月に神明境内で行われた四つ車大八、水引清五郎などの勧進相撲と、このあたり一帯を縄張りとする火消し、め組の鳶との間に起こった、「め組の喧嘩」ですが、神明の門前は当時の港区でもかなりにぎやかな繁華街でした。江戸時代、相撲や芝居は寺社の境内で興行することを許され盛んになりました。芝居は江戸三宮芝居の一つとして、正保2年(1645)芝神明境内で行われたのが最初といわれています。毎年9月に行われる「だらだらまつり」は期間の長いことからその名がついたといわれ、祭礼中に境内やその付近で生姜を盛んに売ったことから生姜市とも呼ばれています。小伝馬町の「べったら市」と共に有名で、浮世絵にも描かれたほど江戸庶民の楽しい行事のひとつでした。まつりの期間中、境内では生姜、千木筥(箱)、甘酒が売られます。千木筥(箱)は雷よけとも、千木が千着に通じるところからタンスの中に入れておくと着物が増えるともいわれる小判型の檜割籠。階段下には、不動貯蓄銀行を興した牧野元次郎の業績を記念する貯金塚が建っています。
芝公園
明治政府が設立した日本最初の都市公園の一つで、敷地面積は12万2000㎡。増上寺をぐるりと囲む形で整備され、野鳥も多く四季折々の自然が楽しめます。
芝給水場公園
大地震などが起こり断水が発生した場合に、水道水を配る給水拠点です。
芝丸山古墳
5世紀後半の築造と推定される都内最大級の前方後円墳。古墳の麓には縄文後期の裏鬼門に位置し、山中鎮守の重要な地を占める円山稲荷や伊能忠敬側地遺功表があり、自由に登れます。
芝浦南ふ頭公園運動広場(かいがんぱ~く)
運動広場を3分割してフットサル場として、2面合わせて少年野球場として、3面を利用してサッカー場としても利用できます。また、全てのサイズで、多目的運動場としてご利用できます。利用の際は団体登録が必要となります。登録後に、利用申請を利用日の3ヶ月前から港区少年団体、2ヶ月前から港区在住在勤団体、1ヶ月前から区外団体(都内在住)の順で受け付けます。主に港区の少年野球団体と少年サッカー団体を対象とした施設ですが、空いていれば、港区在住在勤団体、さらに区外団体もフットサルやサッカー、その他の種目(ゲートボール、ラクロス、タグラグビー等)を楽しめる多目的施設です。
芝浦南ふ頭公園
レインボーブリッジの下にあってブリッジと東京湾を一望できる海上公園。夜景もきれいです。
芝浦中央公園
東京都下水道局芝浦水再生センター内の曝気槽(ばっきそう)の上部を鉄筋コンクリートで蓋をして造られた人工地盤の公園です。公園の計画は芝浦処理場を改築する際に持ちあがったものです。樹木は潅木類が中心ですが、四季おりおりの花が楽しめ、園内にはテニスコートや大芝生広場・児童コーナーなどがあります。 ソメイヨシノ27本、シダレザクラ2本、区の花である『バラ』や『ハナミズキ』『アジサイ』が植えられています。その他にもツツジ、サザンカ、ツバキなどが四季折々の美しさを見せてくれます。
芝浦球場地跡
芝浦球場は、選手が野球をすることで報酬を得る「職業野球」を日本で初めて試みたチーム「日本運動協会」の本拠地として、埠頭公園付近に、大正10年に建設されました。いわゆる日本初のプロ野球チーム発祥の地です。野球好きのお子様であれば、こういったエピソードを教えてあげるといいですね。
芝浦運河沿緑地
界隈は、江戸時代に月見や海水浴の名所としてにぎわった地域。緑地と遊歩道が続く憩いの空間としてよみがえり、水辺まで階段で気軽に降りることができます。楽器を演奏する3人の人物のモニュメント「リバーサイドトリオ」もあり、夕暮れ時に点灯するガス燈がロマンチックな雰囲気を盛り上げます。
芝浦運河沿い
遊歩道が整備され、さわやかな風と一緒に散歩を楽しめます。
七面坂
坂の東側にあった本善寺(戦後五反田へ移転)に七面大明神の木像が安置されていたためにできた名称です。
汐留シオサイト
31ヘクタールにおよぶ「旧国鉄汐留貨物駅跡地」を利用し再開発された「汐留シオサイト」。1区~5区からなり、「汐留」駅・「新橋」駅と「大門」駅・「浜松町」駅をつないでいます。各施設は、地下通路とデッキでつながっているので、移動も大変便利。
汐彩橋
東京湾につながる運河に架かる橋であること、正面にレインボーブリッジを見ることができることから「汐彩橋」と名づけられました。平成16(2004)年4月14日共用開始、橋長45.7mです。
汐見坂
江戸時代中期以前には、海が眺望できた坂です。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいいました。
自由の女神像
台座からの高さ約11m、重量約9tのブロンズ像は、フランスから作成が認められ、パリの自由の女神像から型を取って現地のクーベルタン鋳造所で製造されたレプリカです。臨海副都心まちづくり協議会が製作、東京都へ寄付されました。
寺町
東京メトロ・白金高輪駅そばの魚籃坂から北側一帯は、ほとんどお寺しかないような正に「寺町」です。