観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
青木坂
江戸時代中期以後、北側に旗本青木氏の屋敷があったために呼ばれるようになりました。
青松寺
文明8年太田道灌が開基し、慶長5年現在地に移りました。墓地は愛宕山に続く高台にあり、入り口近くに人の形に作られた槍持勘助の墓があります。槍持勘助(本名芦田義勝)は、美作津山藩(岡山県)主松平越後守宣富の足軽で、当時越後守の槍はとても長くて重く、倒せば打ち首になるという大変な代物。これを持つ苦労を後に残すまいと、義きょう心の強い勘助は槍の柄の下方を切り、自ら切腹して果てました。元禄14年9月のことであったといわれています。松平家では再び切られるのを恐れて、槍の柄に鉄の筋金を入れたといいます。勘助の墓は奴地蔵とも呼ばれ、下の病によく効くと願をかける人が増え、全治した人は竹筒にお酒を入れてお礼をしたといわれます。広い境内には都旧跡に指定されている江戸時代の儒者、井上金峨の墓や法輪大観音像、竹林、湧水などがあります。
青山霊園東地区墓参
佐野きみ(童謡「赤い靴」のモデル」)/尾崎紅葉(作家)岡本綺堂(作家)/宮本百合子(作家)/齋藤茂吉(作家)/志賀直哉(作家)などのお墓巡りができます。
青山霊園西地区墓参
藤島武二(画家)/岡田三郎助(画家)/キヨッソーネ(版画家)/星新一(作家)/国木田独歩(詩人、作家)などのお墓巡りができます。
青山霊園
明治7年に造られた日本初の公営墓地。広大な敷地には、大久保利通、犬養毅、市川団十郎、志賀直哉、尾崎紅葉など多くの著名人が眠っています。約 500本のソメイヨシノが咲く桜の名所で、並木道はみごとな桜のトンネルになります。大きな古木も見ごたえ十分。
青山通り
三宅坂から明治通り交点(渋谷駅東口)までの区間で、千代田区と渋谷を結び、間には赤坂、青山、表参道、骨董通りなどがあります。東宮御所、明治神宮外苑、青山学院など、緑も多く、面する建物としては、国際連合大学、こどもの城、青山学院、Ao (複合商業ビル)などがあります。会社も多く立地し、オフィス街やファッション街としての人気が高い通りです。
青山運動場
外苑前駅下車、3出入口から徒歩5分です。野球やテニスを楽しむことができます。
西町インターナショナルスクール
1949年ライシャワー博士婦人の妹、松方種子女史により創立され、多文化教育を実践しています。校舎の一部には大正10年ヴォーリス設計の松方正熊邸がそのまま使用されていて、平成12年に東京都が選定する歴史的建造物となりました。毎年10月から11月頃父母らにより催されるフードフェアには自慢のお国料理が並びます。
西久保八幡神社
11世紀創建という由緒ある八幡様です。大河ドラマにもなったお江は、関ヶ原の合戦の際、戦勝と安全をこの西久保八幡宮に祈願しました。
聖坂
古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためといいます。竹芝の坂と呼んだとする説もあります。
聖観世音菩薩
昭和57年2月8日、千代田区永田町にあるホテル「ホテルニュージャパン」の火災で罹災し死亡した33名の供養のため建立された観音像です。
聖オルバン教会
聖オルバン教会は、創立1956年、著名なチェコ系アメリカ人建築家、アントニン・レイモンドの設計による建物で、唯一礼拝のすべてを英語で行っている教会です。アメリカ人牧師のウィリアム・ハーゲット司祭をはじめ、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、 アフリカ諸国など信徒は世界各国から集まっています。定時礼拝の他にも、婦人会、青年会、読書会、聖書研究会等、様々なグループが活発に活動しています。
聖アンデレ教会
聖アンデレ教会は、1879年芝栄町(現在の芝公園)に礼拝堂を建てて伝道を開始しました。初代牧師はアレクサンダー・クラフト・ショウ師です。彼は軽井沢開発でも有名な牧師です。創立から100年以上の歴史があります。
清正公覚林寺
加藤清正公が祀られ、「白金の清正公さま」として親しまれてきた覚林寺では、毎年5月4・5日に清正公大祭が行われる。武運の強かった清正公にあやかリ、「苦悩に打ち勝つ」という願いを込め「葉菖蒲入リのお勝守」が授与されます。この両日しか手に入らないお守りを求めて多くの人々が訪れます。 清正大祭では天神坂の上まで露店が並び賑やか。商店街による「のれんノ市」も開催。清正公堂は、拝殿・幣殿・本殿からなる権現造です。山門と共に港区の有形文化財に指定されています。
正山寺
正山寺境内には、戊辰戦争に出兵した仁賀保家家臣 細谷源蔵(ほそやげんぞう)の墓や、仁賀保兵庫之輔(にかほひょうごのすけ)の姉の石仏、大石頼母助良重(たのものすけよししげ)、大石内蔵助良欽(くらのすけよしたか)、大石権内良昭(ごんないよしあき)の墓があり、合寺された国昌寺と縁の深かった明国の武術者 陳元贇(ちんげんぴん)の記念碑、山門脇には烏枢沙摩(うすさま)明王像が祀られています。
瑞聖寺
新来の宗教を厳禁していた江戸時代、唯一例外として特に招かれて渡来した明の僧・隠元によって黄檗宗は伝えられ、寛文10年隠元の弟子木庵によって開山。木庵の書名は高く、隠元らとともに黄檗の三筆と称されています。大雄宝殿は江戸中期以後のものと推測され、国重要文化財。伊藤博文の両親など著名な人とつながる墓があるが、参拝は寺の許可を得てから。
水野監物邸跡
間十次郎ら9名は水野藍物邸に預けられ切腹しました。現在、石灯ろうが残されていますが、当時の水野藍物の中屋敷はここより北へ50mほど寄った所にありました。
水盤舎
もと清揚院殿霊廟の一部であり、明治時代の解体・昭和の空襲を逃れたものを、現在地に移築したものです。徳川将軍家霊廟建築を伝える貴重な遺構のひとつです。
神明坂
天祖神社を元神明というところから神明坂と呼びました。馬場坂という説もありますが、綱の手引坂との混同があるようです。
神谷町光明寺
光明寺は昔から「梅のお寺」として知られてきました。徳川家康が光明寺の梅を喜んだ故事に因み、3代将軍・家光から「梅上山」の山号を贈られたことが、そのきっかけです。江戸時代、幕府への新年寺社献上の第1番は光明寺の梅とされていたそうです。
神宮外苑いちょう並木
イチョウ並木の距離は約 300mあります。その間には 146本のイチョウがほぼ9m間隔で植えられ、黄色に染まったトンネルの中を歩いていくような、独特の景観をつくり出しています。この造園を手がけたのは、日本の近代造園の師と呼ばれた折下吉延博士でした。絵画館に向かって、木の高さとゆっくりと下る道の勾配を計算し、遠近法に基づいてイチョウが植えられています。その風景はまるで一幅の名画のようで、イチョウの木々の織りなす美観は格別です。
新富士見坂
江戸時代からあった富士見坂(青木坂)とは別に明治幕末大正ごろに開かれた坂で、富士がよく見えるためこう呼ばれました。
新芝橋
昭和32年架設、長さ28.1m、幅13.5mのコンクリート橋。橋名は新芝町にかけられた橋ということです。昭和62年4月架け替え。
新芝運河沿緑地
竹芝橋から香取橋につづく遊歩道に設置された10基のガス灯は、夕闇が迫ると自動的に点灯し、レモン色の光が雰囲気を盛り上げてくれます。文明開化の香りを漂わせるガス灯は芝浦のシンボルとなっています。また、黒川晃彦作のモニュメント「リバーサイドトリオ」は、トランペット、フルート、サックスを吹いている三人の像。
新芝運河沿い
きれいに整備された遊歩道で、おしゃれなガス燈がとてもすてきです。夕暮れには自動的にガス燈が点灯し、ロマンチックな散歩が楽しめます。しばらく歩くと、ベンチに腰掛けて楽器を吹いている人を発見。ですが、それは楽器を演奏する3人組の銅像でした。「リバーサイドトリオ」という黒川晃彦氏の作品(1992)です。実際に隣に座ってみると、2人の男性の逞しい体格にちょっとびっくり。静かに耳を傾けるとジャズの音色が聴こえてくるようです。