観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
薩摩藩邸焼き討ち事件跡
慶応3年、戊辰戦争の発端となった「薩摩藩邸焼き討ち事件」が勃発し、屋敷は全焼。跡地は「薩摩ッ原」と呼ばれました。明治に下ると、いまの農事試験場にあたる「三田勧業局育種場」の一部となり、競馬も行われていたとか。
札の辻交差点
すぐ横にはJRの線路(新幹線、東海道線、山手線、京浜東北線等)が走っており、芝浦方面には「札の辻橋」が架けられています。この場所は東海道から江戸への正面入口であり、元和2年には、芝口門という門が建てられました。札の辻という名称の由来は、ここに高札場が設けられて、布告法令などが掲示されたことによります。当時この場所からは江戸湾が眺められ、絶好の景色であったといいます。
桜坂
明治中期に新しく作られた道筋で、坂下に戦災まで大きな桜の木があったことからこの名がつきました。 桜坂からスペイン坂へと続くアークヒルズの外周道路に、約150本のソメイヨシノが植えられています。サクラのトンネルは、夜にライトアップされ毎年多くの人が訪れます。
済海寺(最初のフランス大使館跡)
安政6年8月フランス公使宿館の設置となり、公使ド・ベルクールが駐在しました。寺側の記録「外国書願留(がいこくしょねがいどめ)」1冊(区指定)が残っています。
最初のプロイセン使節宿所跡(広岳院)
広岳院は慶應元年から一時期、プロイセンの宿として利 用されました。プロイセンはこの付近(この一帯は二本榎とよばれていた)の朗惺寺 や承教寺、三田小山の永隆寺などを候補とし、その中から境内の広さや建物の規模な どを考慮して選んだといいます。現存する広岳院の本堂は、弘化年間の火事の後に再建されたもので、幕末の外国公館として使われていた建物の現存例としては唯一のものです。
最初のイギリス公使館跡(東禅寺)
イギリスの初の公使館となった東禅寺。三田・高輪周辺のお寺は、フランス、ロシア、プロシア(ドイツ)、オランダなどの公使館となりました。
紺屋坂
こうやざかとも呼びます。この坂付近に紺屋(染物屋)があったのでこう呼んでいました。また江戸時代、坂のがけ下がごみ捨て場だったことからごみ坂ともいいました。
骨董通り
古美術品店や陶磁器店、画廊などが点在。竹製品や葉巻などの専門ショップ、カフェもあります。毎週土曜日には西洋アンティークのマーケットが開催。古道具探しに出かけてみてはいかがでしょうか。
黒門
御成門交差点付近の芝公園・みなと図書館・御成門小学校一帯にあった増上寺方丈の表門であった旧方丈門です。3代将軍家光公の寄進・建立とされています。明治時代に増上寺方丈に北海道開拓使の仮学校や海軍施設が置かれ、その後芝公園となったおり、鐘楼堂脇に移築したものを、昭和55年に通用門として日比谷通り沿いに移築しました。
国立新美術館
世界的建築家・故黒川紀章氏の設計による特徴的な美術館の建物と、外周の桜並木の取り合わせが美しいスポットです。
国立科学博物館附属自然教育園
大都市「東京」の中心部にあって今なお豊かな自然が残る、都会の中のオアシスともいえる貴重な森林緑地です。自然を活かした植物園が整備され、四季にわたり様々な草花や、昆虫などの生きものを身近に観察できます。
高輪南町児童遊園
砂場や滑り台があり、小さなお子さんが遊ぶのに適しています。園内は砦のような階段があり、地域の方の生活通路として利用されています。
高輪接遇所跡(泉岳寺前児童遊園)
泉岳寺といえば忠臣蔵ですが、幕末には、その門前にイギリス公使館が置かれていました。イギリス公使館が置かれた場所は、攘夷の志士の襲撃をしばしば受けたため、移転を繰り返しました。慶応元年には、泉岳寺の門前に移転し、正式な名称は高輪接遇所といいました。泉岳寺は赤穂義士の墓がある寺として、江戸時代から名所となっていましたが、明治後は門前のイギリス公使館も新たな名所となり、錦絵にも描かれています。イギリス公使館としての役割を終えた後は、新政府の外国人接遇所として外国使節との交渉などに使用されました。現在の泉岳寺前児童遊園がその一部ですが、赤穂義士があまりにも有名なためか、門前に公使館があったことは、ほとんど知られていないようです。
高輪消防署二本榎出張所
高輪警察署前交差点に面した高輪消防署二本榎出張所は、昭和8年12月28日に落成したもので、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として東京都文化デザイン事業により保存建築物に指定されています。配置されている消防車両は、ポンプ車1台、化学車1台、補給車1台です。庁舎内部は見学可能です。
高輪稲荷神社
港区高輪にある稲荷神社です。祭神は宇賀御魂命(ウカノミタマ)です。宇賀御魂命は、日本神話に登場する穀物の神です。神名の「ウカ」は穀物・食物の意味で、「ミタマ」は神秘的な生命力を意味しています。
高野長英隠れ家跡
複合文化施設スパイラルビルの建つ場所が「高野長英の隠れ家跡」です。蘭学者・医者であった高野長英は、幕府の対外政策を封刺した「夢物語」を書き投獄されましたが、伝馬町獄舎炎上を機に逃げ、各地を潜行しました。顔を焼いて人相を変え、沢三白という偽名を使っていましたが、この地で捕まりそうになり自害しました。
高野山東京別院
高野山真言宗 総本山金剛峯寺の別院です。慶長年間、高野山の宝門・寿門の学侶方の在番所として開創され、延宝元年「高野山江戸在番所高野寺」として建立されました。 幕府と宗務全般の交渉、および幕府の諸通達を全国の古儀真言寺院に達する触頭(ふれがしら)の責務を担いました。高野山から重役方が交代で参勤し、学侶教修の道場、大師信仰の実践の場として重要な役割を果たしました。
高橋是清翁記念公園
高橋是清翁の本邸跡。翁は安政元年、幕府絵師川村庄右衛門の子として増上寺中門前で生まれました。仙台藩士高橋是忠の養子となり、11歳の時横浜ヘボン塾で英語を学び、14歳で米国へ留学しました。宿泊先から奴隷に売られ、苦労の末明治元年に帰国。官吏、日銀総裁を経て政界へ入り、大正12年を初めに満州事変以後歴代内閣の蔵相を務めました。卓抜な英語力と苦境に強い精神力を持ち、「ダルマ」の愛称で親しまれましたが、昭和11年2月26日の2.26事件の時ここで暗殺されました。池のある、日本庭園の趣きをもった公園は、カエデ、モッコク、ウラジロガシなどの広葉樹が四季を彩り、訪れる人を楽しませてくれます。
行合坂
双方から行合う道の坂であるため行合坂とよんだと推定されるが、市兵衛町と飯倉町の間であるためか、さだかではありません。
綱町三井倶楽部
鹿鳴館やニコライ堂で有名なジョサイア・コンドルの設計で、大正2年に完成しました。曲線や装飾を取り入れたバロック的な自由さのあるデザインで、彼の多くの作品の中でも傑作といわれています。三井家の接待用に建てられ、現在も使用中のため非公開。正門の横には、白しっくい塗り土蔵造りの旧藩邸の長屋らしい1棟が残っています。 Lunch 11:30~14:00、Dinner 17:00~21:00(土日祝20:30まで) ※レストランは月曜~金曜の平日のみ営業 (休館日および特別行事の日を除く)
港区立網代公園
網代公園内に旧町名の案内板があります。網代町、一本松町、坂下町、山元町、東町、西町など麻布を冠した町名があり、現在と昭和20年代の地図の比較ができます。
綱坂
綱坂の名の由来は、羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の勇士源頼光の四天王の一人『渡辺綱』が付近に生まれたという伝説によるものです。
綱の手引坂
綱の手引坂は、綱坂と同様に『渡辺綱(わたなべのつな)』にまつわる名称です。『渡辺綱』は、羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の勇士源頼光の四天王の一人であり、付近に生まれたという伝説によります。姥坂とも呼んだが、馬場坂の説もあります。旧武家屋敷の長屋が坂に面して建っています。
港区立図書館 赤坂図書館
都営南青山一丁目団地建替えにより整備された「青山1丁目タワー」の3階に移転し、平成19年4月1日から開館しました。広告やデザイン関係の本、プロの調理人が求める本を充実させるなど、周辺のビジネス環境に対応した資料収集に力をいれています。赤坂・青山の書棚を設けるなど地域の魅力を引き出す選書も行っています。 月曜~金曜:9:00~20:00、土日祝12月28日:9:00~ 12月1日より、土曜日も午後8時までの開館になります。17:00
港区立郷土歴史館
区内の遺跡から出土した資料や古文書、浮世絵、民具などを展示。「さわれる展示室」には、ミンククジラの骨格、縄文土器などがあります。