観光

港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。

手まり坂

東京都港区芝公園3/虎ノ門3

愛宕山の南にあたり,青松寺の脇から青龍寺の前を通り,水道局芝給水所の先から永井坂に出て飯倉の交差点につながる坂です。上に行くほど広くなり,オランダ大使館の前は手まり坂と呼ばれ,曲折するところはまるで広場のようです。寛永のころに開かれたというこの坂下の一帯は寺参りの男女をあてこんだのか,民衆芸の小屋が並んで大変賑やかだったようです。

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蛇坂

東京都港区三田4-1と4-2の間

付近の藪から蛇の出ることがあったためと想像されている。

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芝東照宮

東京都港区芝公園4-8-10

寛永18年創建、祭神は徳川家康公。東照宮再建の時に三代将軍家光が植えたと伝える都の天然記念物の大イチョウが残り、戦災から再建された社殿には、生前の風貌をうかがわせる徳川家康座像(都有形文化財)が安置されました。

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芝大神宮

東京都港区芝大門1-12-7

社伝によると、平安時代の中ごろに伊勢宮の分霊をまつったといわれる都内有数の古社。芝大神宮という名称は明治以降のもので、それ以前は飯倉神明宮、芝神明宮などと呼ばれていました。芝の神明で思い出すのは、文化2年2月に神明境内で行われた四つ車大八、水引清五郎などの勧進相撲と、このあたり一帯を縄張りとする火消し、め組の鳶との間に起こった、「め組の喧嘩」ですが、神明の門前は当時の港区でもかなりにぎやかな繁華街でした。江戸時代、相撲や芝居は寺社の境内で興行することを許され盛んになりました。芝居は江戸三宮芝居の一つとして、正保2年(1645)芝神明境内で行われたのが最初といわれています。毎年9月に行われる「だらだらまつり」は期間の長いことからその名がついたといわれ、祭礼中に境内やその付近で生姜を盛んに売ったことから生姜市とも呼ばれています。小伝馬町の「べったら市」と共に有名で、浮世絵にも描かれたほど江戸庶民の楽しい行事のひとつでした。まつりの期間中、境内では生姜、千木筥(箱)、甘酒が売られます。千木筥(箱)は雷よけとも、千木が千着に通じるところからタンスの中に入れておくと着物が増えるともいわれる小判型の檜割籠。階段下には、不動貯蓄銀行を興した牧野元次郎の業績を記念する貯金塚が建っています。

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芝公園

東京都港区芝公園4-10-17

明治政府が設立した日本最初の都市公園の一つで、敷地面積は12万2000㎡。増上寺をぐるりと囲む形で整備され、野鳥も多く四季折々の自然が楽しめます。

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芝給水場公園

東京都港区芝公園3-6-7

大地震などが起こり断水が発生した場合に、水道水を配る給水拠点です。

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芝丸山古墳

東京都港区芝公園4-8

5世紀後半の築造と推定される都内最大級の前方後円墳。古墳の麓には縄文後期の裏鬼門に位置し、山中鎮守の重要な地を占める円山稲荷や伊能忠敬側地遺功表があり、自由に登れます。

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芝浦南ふ頭公園運動広場(かいがんぱ~く)

東京都港区海岸3-33-20

運動広場を3分割してフットサル場として、2面合わせて少年野球場として、3面を利用してサッカー場としても利用できます。また、全てのサイズで、多目的運動場としてご利用できます。利用の際は団体登録が必要となります。登録後に、利用申請を利用日の3ヶ月前から港区少年団体、2ヶ月前から港区在住在勤団体、1ヶ月前から区外団体(都内在住)の順で受け付けます。主に港区の少年野球団体と少年サッカー団体を対象とした施設ですが、空いていれば、港区在住在勤団体、さらに区外団体もフットサルやサッカー、その他の種目(ゲートボール、ラクロス、タグラグビー等)を楽しめる多目的施設です。

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芝浦南ふ頭公園

東京都港区海岸3-33-20

レインボーブリッジの下にあってブリッジと東京湾を一望できる海上公園。夜景もきれいです。

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芝浦中央公園

東京都港区港南1-2-28

東京都下水道局芝浦水再生センター内の曝気槽(ばっきそう)の上部を鉄筋コンクリートで蓋をして造られた人工地盤の公園です。公園の計画は芝浦処理場を改築する際に持ちあがったものです。樹木は潅木類が中心ですが、四季おりおりの花が楽しめ、園内にはテニスコートや大芝生広場・児童コーナーなどがあります。 ソメイヨシノ27本、シダレザクラ2本、区の花である『バラ』や『ハナミズキ』『アジサイ』が植えられています。その他にもツツジ、サザンカ、ツバキなどが四季折々の美しさを見せてくれます。

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芝浦球場地跡

東京都港区海岸3

芝浦球場は、選手が野球をすることで報酬を得る「職業野球」を日本で初めて試みたチーム「日本運動協会」の本拠地として、埠頭公園付近に、大正10年に建設されました。いわゆる日本初のプロ野球チーム発祥の地です。野球好きのお子様であれば、こういったエピソードを教えてあげるといいですね。

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芝浦運河沿緑地

東京都港区芝浦1-16-25

界隈は、江戸時代に月見や海水浴の名所としてにぎわった地域。緑地と遊歩道が続く憩いの空間としてよみがえり、水辺まで階段で気軽に降りることができます。楽器を演奏する3人の人物のモニュメント「リバーサイドトリオ」もあり、夕暮れ時に点灯するガス燈がロマンチックな雰囲気を盛り上げます。

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芝浦運河沿い

東京都港区海岸2

遊歩道が整備され、さわやかな風と一緒に散歩を楽しめます。

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七面坂

東京都港区麻布十番2-7と2-8の間

坂の東側にあった本善寺(戦後五反田へ移転)に七面大明神の木像が安置されていたためにできた名称です。

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汐留シオサイト

東京都港区東新橋1-8-2

31ヘクタールにおよぶ「旧国鉄汐留貨物駅跡地」を利用し再開発された「汐留シオサイト」。1区~5区からなり、「汐留」駅・「新橋」駅と「大門」駅・「浜松町」駅をつないでいます。各施設は、地下通路とデッキでつながっているので、移動も大変便利。

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汐彩橋

東京都港区芝浦4~海岸3

東京湾につながる運河に架かる橋であること、正面にレインボーブリッジを見ることができることから「汐彩橋」と名づけられました。平成16(2004)年4月14日共用開始、橋長45.7mです。

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汐見坂

東京都港区虎ノ門2と2-10の間

江戸時代中期以前には、海が眺望できた坂です。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいいました。

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自由の女神像

東京都港区台場1-4-1

台座からの高さ約11m、重量約9tのブロンズ像は、フランスから作成が認められ、パリの自由の女神像から型を取って現地のクーベルタン鋳造所で製造されたレプリカです。臨海副都心まちづくり協議会が製作、東京都へ寄付されました。

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寺町

東京都港区元麻布3

東京メトロ・白金高輪駅そばの魚籃坂から北側一帯は、ほとんどお寺しかないような正に「寺町」です。

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歯科医学教育発祥の地跡

東京都港区三田4-18

泉岳寺駅から 伊皿子坂・魚籃坂方面に向かう道路(都道 415号)の 「伊皿子」交差点に面して, 黒御影石の碑が建っています。高山紀齋は明治8年に わが国最初の歯科医師免許をとった人物で、その後アメリカに渡り、米国の歯科医師の免許を取得しました。当時日本ではまだ 西洋歯科技術は全く理解されていない時代でした。明治23年にこの伊皿子の地に 歯科医学院を開設し、これが 東京歯科大学の前身です。

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志賀直哉居住の跡

東京都港区六本木4-3-13

六本木駅から俳優座劇場を通り過ぎ、三河台公園の近くに「志賀直哉居住跡」があります。「小説の神様」とも称された志賀直哉は、14歳からの15年間、多感な青春時代をここで過ごしました。屋敷は1682坪という広大な敷地内にあり、旧地名では麻布三河台町。いまは大手企業の社宅やマンションが建てられています。現在も公園やマンションに「三河台」の名が冠されています。その辺りを道路沿いにぐるりと歩くと、反対側には東京ミッドタウンがあり、道路を隔ててきれいに整備された檜町公園が広がります。直哉は、この屋敷で処女作である「或る朝」をはじめ、「網走まで」「正義派」「大津順吉」など初期の作品を書きました。

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市三坂

東京都港区六本木3と4の間

明治20年代に開かれた坂。名主の名がついた市兵衛町と、松平三河守忠直邸のあった三河台町(みかわだいまち)との間で両頭文字をとりました。

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四季の丘

東京都港区元麻布1-3 元麻布ヒルズ内

桜並木に囲まれた、元麻布ヒルズの広大な敷地に広がる「四季の丘」は、季節の花々に出会える憩いの場です。都心でありながら、身近に自然を感じることのできる場所です。

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鼠坂

東京都港区麻布狸穴町、麻布永坂町の間

細長く狭い道を、江戸でねずみ坂と呼ぶふうがあったといわれます。上は植木坂につながります。

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善福寺のイチョウ

東京都港区元麻布1-6-21

目通り幹囲約9m、高さ19mの善福寺のイチョウは俗に逆さイチョウと呼ばれています。樹齢約700年と推定され都内で最古のものとして国天然記念物の指定を受けています。伝説によると、善福寺に立ち寄った親鸞が、寺を去るとき、持っていたイチョウの杖を境内の土に立てて、この枚を根づかせてみせるぞ、という意味で「念仏の求法、凡夫の往生もかくの如きか」といったといわれ、はたして杖は見事に根づいて、今日みるような巨木に育ったといいます。なお、この木は、終戦後にいったん枯死したかに見え、天然記念物の指定を取り消されましたが、住職らの尽力で異例の再指定となり奇跡的によみがえった事実があります。

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