観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
霞坂
明治初年に霞山稲荷(現在の桜田神社)から霞町の町名ができ、そこを貫通する道が明治20年代に開かれて霞坂と呼ばれました。
岡本太郎記念館
万博の「太陽の塔」で知られる岡本太郎が亡くなった後、50年近く生活をしていたアトリエ兼住居が記念館となりました。庭には表情豊かなオブジェが、またアトリエには未完成のキャンバスが飾られている様子は、まだ彼が生きているかのようです。エネルギーに満ちあふれた空間で、芸術の真髄を堪能することができます。
於多福坂
坂の傾斜が、途中でいったんゆるやかになって、また下ったので、顔のまん中の低いお多福面のようだと名づけられました。
円通寺坂
元禄8年付近から坂上南側に移転した寺院の名称をとりました。それ以前に同名の別院があったともいいます。
榎坂
江戸時代はじめ、浅野左京大夫幸長(ヨシナガ)がこのあたりで人口湖の造成(いわゆる赤坂溜池)に成功しました。家臣の矢島長雲は、この功績を後世に残そうと、その堤に「印の榎」を植え、これが、坂名と町名の起源となったと伝えられます。
榎坂
江戸時代より前の古街道を示す榎があったと推定される。坂下から東京タワー方向へ登る永井坂を榎坂と記す資料もあります。
詠唱発祥の地
終戦直後の焦土と化した昭和21年、増上寺山内の浄土宗宗務所において、宗門教化のための詠唱は、檀信徒を勇気づけ、彼らのこころの安穏を取り戻しました。そして、増上寺を詠唱発祥の地としました。 浄土宗吉水流詠唱は、お念仏をお唱えし易くする為の「お念仏の助業」です。お念仏をお唱えするという事は、阿弥陀仏に帰依し、全てをお任せするという事であり、お念仏は阿弥陀仏の極楽浄土へ往生するための五種の行の一つ「称名正行」です。五種正行とは、阿弥陀仏を中心とした読誦・観察・礼拝・称名・讃歎供養をいい、この五種の中で「称名正行」は阿弥陀仏の本願にかなった行いとして「正定の業」であり、他の四種は「称名正行」へ導く為の行としてあることから、「助業」とされております。
永坂
麻布台上から十番へ下る長い坂であったためにいいます。長坂氏が付近に住んでいたともいうが、その確証はえられていません。
永井坂
江戸時代から明治初期にかけて、この付近の地を芝永井町といったところからこの名が付きました。
烏枢沙摩明王
「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」は、受胎祈願や安産祈願、厄除け祈願の本尊として信仰されています。不浄のものを浄化して、清める力を持つといわれています。正山寺の正門脇に祀られており、通りかかるたびに思わず手を合わせたくなります。
芋洗坂
由来は芋問屋があったからという芋洗坂と、天明年間末頃までうどん屋があったためという饂飩坂。2つの坂が交わる辺りにしゃれた公衆トイレが建っています。
稲荷坂
坂下北側に円通院があり、その境内の稲荷への門があったための坂名。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂といいます。
一本松坂
源経基(みなもとのつねもと)などの伝説を持ち、古来、植えつがれている一本松が坂の南部にあるための名です。麻布七不思議のひとつ一本松を目印に、『一本松坂』『狸坂』『大黒坂』『暗闇坂』の4つの坂に分かれています。
伊能忠敬測地遺功表
明治22年、東京地学協会が日本地図を作った測量の先駆者・伊能忠敬の功績を顕彰して建てたもの。当時の物は戦災で失われたため、現在の遺功表は昭和40年に再建されました。丸山古墳の頂上にあります。
伊皿子坂
明国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えられるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりとも、いいさらふ〔意味不明〕の変化ともいいます。
暗闇坂
麻布七不思議のひとつ一本松を目印に4つの坂に分かれます。人を化かす狸が出たという狸坂と七福神のひとつ大黒天をまつる大法寺がある大黒坂。樹木が生い茂り昼でも暗かったという暗闇坂の途中には、美しい赤レンガ造りのオーストリア大使館があります。松にちなんだ一本松坂をずっと上ると七福神の毘沙門天をまつる氷川神社前に出ます。
安養院
安養院に最初の芝区役所が設けられ、明治11年11月に開庁し、初代区長に相原安次郎が任命されました。当時の芝区は桜田・三田・白金・高輪の地域で、戸数14、 757戸、人口58861人でした。芝区役所は、その後愛宕町に移り、さらに大正15年に現在の港区役所の位置に移りました。
安鎮坂
付近に安鎮(珍)大権現の小社があったので坂の名になりました。武士の名からできた付近の地名によって権田原坂ともいいます。
安全寺坂
坂の西に、江戸時代のはじめ安全坂があった。誤って安珍坂、安楽寺坂、安泉寺坂などと書かれたことがあります。
安国殿
秘仏黒本尊(阿弥陀如来)が祀られています。黒本尊は家康公が深く尊崇し、そのご加護により度重なる災難を除け、戦の勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像です。江戸時代以来、勝運・厄除けの仏様として広く人々の尊崇をあつめています。
愛宕トンネル
昭和5年にできた愛宕トンネル。トンネル手前左のエレベーターで愛宕山の山頂まで登ることができます。
ロシア大使館
ロシア連邦の在日大使館。関連施設として、在日ロシア連邦大使館領事部、在札幌ロシア連邦総領事館(北海道)、在札幌ロシア連邦総領事館在函館支部、在大阪ロシア連邦総領事館、在新潟ロシア連邦総領事館があります。 1855年 日本とロシア帝国が日露和親条約に調印。1858年 函館にロシア領事館が開設。1871年 横浜にロシア政府代表部が開設。1875年 ロシア政府代表部が横浜から東京に移転。1904年 日露戦争勃発。1905年 ポーツマス条約に調印、外交関係を回復。1908年 ロシア政府代表部が大使館に格上げ。1917年 十月革命により外交関係が中断。1925年 日ソ基本条約が批准され、大使レベルの外交関係を樹立。1945年 ソビエト連邦が対日宣戦布告を行い、外交関係が中断。1956年 日ソ共同宣言が発表され、大使レベルの外交関係を回復。
レインボープロムナード
東京湾にかかるレインボーブリッジは平成5年に開通しました。橋の長さは 798m。歩いて渡れるレインボープロムナード( 1.7km)があり、その夜景は人気の観光スポットとなっています。
レインボーブリッジ
芝浦地区と臨海副都心を、長さ約 800mで結ぶ首都最大級の橋。東京のシンボル的存在で、東京湾に美しいシルエットを与えています。上層は首都高速、下層は一般道、遊歩道、新交通ゆりかもめが走る二重構造。1.7km(徒歩20~30分)の遊歩道から、東京タワーやお台場の景色を楽しめます。
ヨコソーレインボータワー
レインボーブリッジに隣接する横浜倉庫芝浦事業所跡地に、1995年に完成しました。南側を斜面とした直角三角形の独特な形状をしており、斜面上部には横浜倉庫の略称である「YOKOSO」のネオンサインが設けられています。