観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
ボスニアヘルツェゴビナ大使館
ボスニア・ヘルツェゴビナは、東ヨーロッパのバルカン半島北西部に位置する共和制国家、地域。首都はサラエヴォ。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国(セルビア人共和国)のふたつの構成体からなる連邦国家です。
プロシア公使館跡
江戸幕府は、慶応元年4月から、プロシアの外交使節の宿舎として、芝日本榎の広岳院をあてていましたが、翌慶応2年3月、麻布仙台坂脇のこの場所にあった春桃院(現在は南麻布に移転)に移しました。公使館として使用された建物は、本堂続きの127坪(419.1㎡)および山寄りの51坪(168.3㎡)の建物であったという記録が残されています。
ふれあいの湯
熱めのお湯と強力なジェットバスが自慢で、ドライヤーの使用は無料。荷物の一時預かりサービスも銭湯ランナーに好評です。独立した休憩室には大画面のテレビがあり、湯上がりにジュース等を飲みながら、ゆったりとくつろげます。きちんとした挨拶と清潔感を大切にしています。
フランス大使館邸
フランス大使館新庁舎は、パリ空港公団建築事務所のフランス人建築家ピエール=ミシェル・デルプシュ氏とドミニック・シャヴァンヌ氏をリードアーキテクトとして竹中工務店と共同で設計し、竹中工務店が日本とフランスの建材(ハイテクガラスなど)を多数使用して建設しました。その結果、鳥を思わせる折れ曲がったカーブを基調とする環境調和型の優れた建物が完成しました。新庁舎のメインファサードは、フランス大使館庭園に向けて開かれた窓のようです。 フランス大使館の庭園は徳川幕府時代の遺産であり、フランスは歴史遺産を極めて重視する立場から、その一体性と主な特徴の保存を望んでいます。この美しい庭園にダメージを与えないことが、極めて早い段階から庁舎の建て替えの前提条件の一つになりました。折れ曲がったフォルムと伸びたカーブで構成された新庁舎は、自然の中に溶け込んでいる印象を与えるばかりではなく、庭園の貴重性をいっそう引き立たせています。
プラチナ通り
目黒通りと外苑西通りを結び、イチョウ並木沿いにおしゃれなカフェ、レストラン、ショップが立ち並ぶ。名称は「白金」の地名に由来。洗練されたこの街の雰囲気に合う女性を「シロガネーゼ」と呼んで、マスコミに取り上げられたことから一躍有名になりました。
プラタナス公園
プラタナス公園は「芝浦アイランド地区再生プロジェクト」の街の中心的位置付けとなる公園として造られました。芝生広場には公園名にもなっている大きなプラタナスの木がシンボルとして存在しています。
ブラジル大使館
ブラジル大使館の建物は東京・青山の町並みの路地に面しています。 曲線的な建物正面のレッドにペイントされた縦枠と、その建物とは逆のカーブを描きながらアクセントとしてイエローにペイントされた壁が、路地との間に小さな空間を作り上げています。 ニューヨーク・タイムズはこの建物を「東京で注目に値する近代建築の一つ」と評しました。
ブッシュ槇
米国第41代ブッシュ大統領が副大統領として昭和57年4月24日来日の際、増上寺に参詣し、記念として植樹されました。
フィンランド大使館
在日フィンランド大使館は東京の中心部、港区南麻布にあります。同区内には約60もの大使館が 点在しています。大使館の建物は1983年に建造され、数100年を経る堂々とした椎の古木が大使館の中庭に重厚な雰囲気を添えています。
フィリピン共和国大使館
東南アジアに位置する共和制国家です。島国であり、フィリピン海を挟んで日本、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んでベトナムと対しています。
バラのアート作品(66プラザ)
巨大なクモのアート作品「ママン」を背にして東京タワー方向を見てみてください。すると、巨大な1本のバラのアート作品を発見できるはず。何度も「六本木ヒルズ」に足を運んでいてもなかなか見つけられない隠れたアート作品のひとつです。
パキスタン・イスラム共和国大使館
二国間の関係をたどってゆくと、先史時代から二国間には繋がりがありました。1930 年には東京大学と拓殖大学にウルドゥ語研究の学部が設置されました。この時から、日本で、本格的にウルドゥ語とパキスタンの研究が進みました。1951年、サンフランシスコ講和会議において、パキスタンは南アジアから唯一の重要な国として出席をしました。中国は招待をされず、インドとビルマ はそれぞれの事情から出席を見合わせました。会議において、パキスタンは日本に対して平等に接するように強く求め続けました。当時パキスタン外務大臣で あったザファルラー・カーン氏は、会議の場で、歴史に残る演説を残しました。彼は「日本の平和は、正義と公正によって維持されなければならず、復讐や反発の気持ちを抱いてはいけない。将来、日本は世界で社会的、政治的な重要な役割を果たすことになるであろう。日本は輝かしい未来を持っている国であり、必ず平和を愛する人々なのだ。」と日本の立場を擁護しました。
ノルウェー王国大使館
大使公邸、オフィス棟にあるアートワークの大半は、ノルウェー人アーチストによる作品です。これらは、ノルウェー外務省やナショナルギャラリーからの貸与、もしくは大使館に寄贈されたものです。
なだれ坂
流垂・奈太礼・長垂などと書きました。土崩れがあったためでしょうか。幸国[寺]坂、市兵衛坂の別名もあったたといいます。
ドイツ連邦共和国大使館
文久元年1月24日、プロイセン使節フリードリヒ・アルブレヒト・ツー・オイレンブルク伯爵と江戸幕府の間で「修好通商航海条約」が結ばれ、ドイツと日本の国交が始まりました。日独両国間では、学術・文化分野を中心に今日まで活発な交流が続いてきています。この条約はその礎石を築くとともに、両国が恩恵を享受する経済分野、政治分野の緊密な関係の発展を可能ならしめました。在日ドイツ大使館事務棟や大使公邸、そして公邸の美しい庭園は、両国の緊密な関係を映し出しています。本冊子をご覧いただき、大使館施設と日独関係の過去と現在に思いを馳せていただければ幸いです。
ソニーエクスプローラサイエンス
お台場で観光するなら「光」「音」「エンタテインメント」を科学するソニーの科学館「 サイエンス・ミュージアム」。ワークショップ・イベント盛りだくさん。
スペイン大使館
大使館の建物は、イオニア式の玄関ポーチをもつ典型的なスペイン風様式の建物で、本場スペインのロマネスク建築を想起させます。 六本木通りからスペイン大使館へ続く坂は『スペイン坂』と呼ばれ、桜坂から続く桜並木には多くの人が訪れます。
スペイン坂
アークヒルズの南側に位置するこの坂道は、六本木通りからスペイン大使館につながることからスペイン坂と名付けられました。都心における桜の名所としても知られています。
スパイラルホール
生活と文化やアートの融合を目的として建てられたスパイラルは、アート展、コンサート、ファッション・ショー、パーティーなどあらゆるジャンルのイベントに利用できる複合文化施設。スパイラルの名前は、らせん状に上昇していく空間構成に由来しています。入り口の横には、高野長英隠れ家および自決の碑があります。
スタジアム通り
平成4年に、青山外苑前商店街振興組合創立40年を記念し、公募で決まりました。近くに、神宮球場、秩父宮ラグビー場、国立競技場があり、試合の行われる日はユニフォーム姿の人々も多いです。
スウェーデン大使館
現在のスウェーデン大使館は、在日スウェーデン人の集まるスポットであると同時に、スウェーデンビジネスの中心地として活用されています。建物は、スウェーデン人のミカエル・グラニ-ト氏によって設計され、1991年に建てられました。
スイス大使館
2014年、スイスと日本は、国交樹立150周年を祝う記念の年を迎えます。1864年に両国間で最初の修好通商条約が結ばれたことをきっかけに、両国は長い友好関係を築いてきました。 150周年の特別な年には、両国の高度で緊密な関係を強調する多くのイベントが提供されます。
シーバンス「水の公園」アトリウム
子ども向けアクション番組の特撮シーンが撮られる場所として知られています。とくに古代ギリシャのパルテノン神殿を思わせるような列柱と噴水がある「水の迷路」は幻想的な音色とともに変化に富み、撮影場所としても最適です。広場の先にはオフィスビル「シーバンス」が2棟並び、その間にあるアトリウム棟だけは開放されています。棟内は飲食店が並び、人工の川が流れており、のんびりとくつろげます。
サントリー美術館
1961年の開館以来、絵画、陶磁、漆工、ガラスなど魅力あふれる企画展を通して、「生活の中の美」を多くの方にお伝えしてきたサントリー美術館。緑あふれる環境の中、白磁のルーバー(縦格子)に覆われた外観の美術館では、隈研吾氏設計によるモダンな和の空間で新しい美の発見、出会いを体験いただけます。
サントリーホール
クラシックの殿堂。大ホールでは、連日のようにさまざまなコンサートが催されています。ホールの正面入り口には、パイプオルゴールが組み込まれ、正午と開場時になると、扉が開き、かわいい人形がオルゴールを回して軽快な音色を奏でます。毎月1回(8月を除く)、木曜日のランチタイムにパイプオルガンの無料コンサート『オルガンプロムナードコンサート』が催され、近隣の方ばかりでなく、遠方からの来場者も増えています。