観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
スペイン大使館
大使館の建物は、イオニア式の玄関ポーチをもつ典型的なスペイン風様式の建物で、本場スペインのロマネスク建築を想起させます。 六本木通りからスペイン大使館へ続く坂は『スペイン坂』と呼ばれ、桜坂から続く桜並木には多くの人が訪れます。
スペイン坂
アークヒルズの南側に位置するこの坂道は、六本木通りからスペイン大使館につながることからスペイン坂と名付けられました。都心における桜の名所としても知られています。
スパイラルホール
生活と文化やアートの融合を目的として建てられたスパイラルは、アート展、コンサート、ファッション・ショー、パーティーなどあらゆるジャンルのイベントに利用できる複合文化施設。スパイラルの名前は、らせん状に上昇していく空間構成に由来しています。入り口の横には、高野長英隠れ家および自決の碑があります。
スタジアム通り
平成4年に、青山外苑前商店街振興組合創立40年を記念し、公募で決まりました。近くに、神宮球場、秩父宮ラグビー場、国立競技場があり、試合の行われる日はユニフォーム姿の人々も多いです。
スウェーデン大使館
現在のスウェーデン大使館は、在日スウェーデン人の集まるスポットであると同時に、スウェーデンビジネスの中心地として活用されています。建物は、スウェーデン人のミカエル・グラニ-ト氏によって設計され、1991年に建てられました。
スイス大使館
2014年、スイスと日本は、国交樹立150周年を祝う記念の年を迎えます。1864年に両国間で最初の修好通商条約が結ばれたことをきっかけに、両国は長い友好関係を築いてきました。 150周年の特別な年には、両国の高度で緊密な関係を強調する多くのイベントが提供されます。
シーバンス「水の公園」アトリウム
子ども向けアクション番組の特撮シーンが撮られる場所として知られています。とくに古代ギリシャのパルテノン神殿を思わせるような列柱と噴水がある「水の迷路」は幻想的な音色とともに変化に富み、撮影場所としても最適です。広場の先にはオフィスビル「シーバンス」が2棟並び、その間にあるアトリウム棟だけは開放されています。棟内は飲食店が並び、人工の川が流れており、のんびりとくつろげます。
サントリー美術館
1961年の開館以来、絵画、陶磁、漆工、ガラスなど魅力あふれる企画展を通して、「生活の中の美」を多くの方にお伝えしてきたサントリー美術館。緑あふれる環境の中、白磁のルーバー(縦格子)に覆われた外観の美術館では、隈研吾氏設計によるモダンな和の空間で新しい美の発見、出会いを体験いただけます。
サントリーホール
クラシックの殿堂。大ホールでは、連日のようにさまざまなコンサートが催されています。ホールの正面入り口には、パイプオルゴールが組み込まれ、正午と開場時になると、扉が開き、かわいい人形がオルゴールを回して軽快な音色を奏でます。毎月1回(8月を除く)、木曜日のランチタイムにパイプオルガンの無料コンサート『オルガンプロムナードコンサート』が催され、近隣の方ばかりでなく、遠方からの来場者も増えています。
さくら坂公園
平成15年春に完成した公園。別名ロボロボ園と呼ばれ、韓国で最も注目されているアーティスト、崔正化(チェ・ジョンファ)がプロデュースしました。カラフルな10本の滑り台、44体のロボットで構成されたタワーなど、子どもだけでなく大人も楽しめる公園。長さ13メートルのローラー滑り台は、ちょっとしたスリルが味わえます。 ローラー滑り台の下、さくら坂沿いにはソメイヨシノが植えられています。まだまだ若木ですが、数年後には見事な通りとなるでしょう。フジ棚の上にもロボットがいます。
さくら坂
2003年3月、六本木6丁目の再開によりできた坂。坂の両側には、ソメイヨシノが植えられています。
けやき坂
2003年3月、六本木6丁目の再開によりできた坂。イルミネーションの時期には、毎年多くの人が訪れる。
グラント松
明治12年、アメリカ合衆国第18代大統領グラント将軍が訪日の際、参拝記念に植樹しました。
クウェート大使館
万博をきっかけとして海外での活動が中心となった丹下健三が、1970年代に日本国内に残した数少ない建築です。2本の太いコア・シャフトによって支えられた上層部と下層部との2つの大きなボリュームで構成されるダイナミックな造形で、上層部は大使公邸、下層部は大使館の事務室として用いられ、機能的にも明快な分離が図られています。
きみちゃん像
野口雨情の童謡「赤い靴」のモデルとなった岩崎きみちゃんの像が、麻布十番商店街のパティオ十番にあります。3歳で米国人宣教師の養女となったきみちゃんは、結核のため麻布の孤児院に入れられ、渡米することなく9歳で亡くなりました。
カンボジア王国大使館
1953年1月9日の日本・カンボジア外交関係樹立以来、日本とカンボジアは半世紀の歴史を歩んできました。そして、1955年12月9日に調印された「日本・カンボジア友好条約」の55周年を迎えようとし、カンボジア王国 ノロドム・シハモニ国王陛下 が国賓として2010年5月に来日されました。 外交樹立以前にも、カンボジアと日本との交流の歴史は長く、17世紀には堺市の商人がクメール王国に訪問し、すばらしいアンコール・ワット寺院にも訪ねました。または、日本がいう「南瓜(カボチャ)」もカンボジアという名前から由来するという話もあります。 日本人にとって、カンボジアというのは、まだ内戦というイメージが強いでしょう。実際に、本当の平和と安定がたずねたのは、つい最近の話でした。1998年の フン・セン首相 が唱えた「Win-Win」政策で、クメール・ルージュの政治・軍事組織が解体され、カンボジア王国軍に統合されたことのおかげで、ようやく内戦に終止符を打ちました。政治安定と平和があってからこそ、カンボジア政府が経済開発に専念できるようになり、2004年に四辺形戦略を発足しました。その戦略の目的は、「成長、雇用、公正、効率」が挙げられ、それを実行した成功のおかげで、ポスト紛争国としてもっとも成功した国作りであると認められています。
カレッタ汐留
約60の飲食店・ショップのほか、日本で唯一の広告ミュージアム「アドミュージアム東京」、「大同生命ミュージカルシアター 電通四季劇場[海]」などの文化施設を併設した複合型商業施設。46Fスカイレストランフロアにある、無料展望スペース「スカイビュー」からは、お台場、豊洲方面を臨むベイエリアの絶景を楽しむことができる。毎年11月~2月には、音と光のイルミネーションで多くの観光客を魅了し、港区汐留エリアの風物詩となっている。
カナダ大使館
4階と地下2階は新しい日加交流の場として一般に公開されています。長いエスカレーターで4階へ上がると回廊式のカナダ・ガーデン。カナダの大西洋岸から日本に至るまでの風景が彫刻、滝、庭園などによって表現されています。地下2階には劇場、ギャラリー、リサーチ・ライブラリーがあります。日本とカナダとは明治維新直後から貿易を開始していましたが、当時の主な輸出品は緑茶、カナダからは丸太や石炭などが輸入されていました。カナダへの移住も1877年の永野萬蔵を初めとして相次いだようです。
カタール大使館
中東・西アジアの国家。首都はドーハ。アラビア半島東部のカタール半島のほぼ全域を領土とする半島の国。
ガス燈リバーサイドトリオ
彫刻家・黒川晃彦氏制作のリバーサイドトリオ(1992年)です。風景の中に潜け込み、行き交う人々の心に安らぎを与えています。
お台場海浜公園
延長約 800mの人工の砂浜「おだいばビーチ」を含む東京湾に面した海浜公園です。砂遊びやマリンスポーツが楽しめるほか、四季を通じて多くの人で賑わっています。
お台場ビーチ
おだいばビーチは、東京都心にある延長約 800mの人工砂浜です。砂浜には、伊豆諸島の神津島の砂が使用されています。春から秋にかけて様々なイベントが開催され、多くの人々で賑わいます。夕方から夜にかけて砂浜から眺めるレインボーブリッジと対岸にある高層ビル群はとても美しい眺めです。
オランダ公館跡
長応寺を公館としていたのは、オランダです。オランダは、日本が鎖国中も交易していた国であり、長崎出島を本拠とし、その後は横浜に本拠を移しました。長応寺は、江戸での公館として使用し、幕府やヨーロッパ諸国との外交交渉の舞台となりました。残念ながら、長応寺は現存しておりませんが、白亜のマンション(秀和高輪レジテンス)が、かつての参道を思わせる道のむこうに建っています。
オランダ王国大使館
春になると、大使館前の花壇に、色とりどりのチューリップが咲きそろいます。
オランダなど使節宿泊跡(真福寺)
幕府は、安政5年、アメリカを初め、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの五ヶ国と通称条約を結び、江戸の地には、外国の使節の往来がはげしくなりました。この間、江戸における使節団の宿舎として、攘夷派浪士への対策、大人数が収容できるなどの理由から寺院が選ばれていました。ことに港区内の寺院は、開港場と江戸を結ぶという地理的条件から宿舎に指定されるものが多くありました。真福寺は、安政5年3月から約半年間、オランダ使節の宿舎となり、以後、当寺は、短期間であったが、ロシアやフランスの宿舎にもなりました。なお、当時の建物は関東大震災で焼失しました。