観光

港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。

南浜橋(みなみはまばし)

東京都港区芝浦1丁目から海岸2丁目に至る。

昭和47年3月架設、長さ4.4m、幅18m、芝浦運河にかかる。

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東照宮/イチョウ・徳川家康座像

東京都港区芝公園4−8−10

寛永16年(1639)東照宮再建の時に三代将軍家光が植えたものといわれています。高さ25.5m、目通り幹の周囲6.45m、根本の周囲9.5mの300年余の樹齢をもつ大木で、戦災で社殿は焼けたが、イチョウは残り、今も樹勢は盛んです。都の天然記念物に指定されています。戦後再建された東照宮の社殿には生前の風貌をうかがわせる徳川家康座像(都有形文化財)が安置されています。

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東芝浦橋(ひがししばうらばし)

東京都港区芝浦1丁目から海岸2丁目に至る。

昭和59年4月に長さ46.6m、幅8mで完成。

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東京ジョイポリス

東京都港区台場1丁目6−1 DECKS Tokyo Beach

CAセガジョイポリス株式会社が運営する東京お台場の屋内型遊園地・デックス東京ビーチ内の施設なので、雨の日も楽しめます。デートにも最適!・ジェットコースターなどのアトラクションも充実・楽しさいっぱいのテーマパーク、東京ジョイポリスで遊んじゃおう!

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島崎藤村自筆校歌碑/明治学院

東京都港区白金台1−2−37

大学正門からキャンパスに入ると、左手に区有形文化財の礼拝堂があります。島崎藤村作詞、自筆による校歌碑(昭和12年建)は、その礼拝堂の脇に建っています。碑には、「人の世の若き生命のあさぼらけ学院の鐘は響きてわれひとの胸うつところ白金の丘に根深く記念樹の立てるを見よや(中略)ああ行けたたかへ雄雄しかれ眼さめて起てよ畏るるなかれ」と刻まれています。

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天真寺

東京都港区南麻布3-1-15

寛文元年(1661)創立。江戸後期の代表的名君といわれた茶人大名、松江藩主松平不昧とその子月潭に関する遺品(区有形文化財)が多くあります。不昧の隠居所山庵が川崎から移築されており、多くの書画、工芸品がともに保存されています。

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潮路橋(しおじばし)

東京都港区芝浦2丁目から海岸3丁目に至る。

昭和10年3月芝浦運河に長さ59.6m、幅15mの鋼橋架設。芝浦の海の潮にちなんだ命名とされている。

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潮見坂(しおみざか)

東京都港区虎ノ門2、2-10の間

江戸時代中期以前には、海が眺望できた坂である。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいった。

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中之橋(なかのはし)

東京都港区三田1丁目から東麻布1・2丁目に至る

新堀橋架設以前、赤羽橋と一之橋の間にあったので橋名となる。大正15年に鋼橋となり、長さ16.3m、幅13m、古川にかかる。昭和60年3月架け替え。

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竹芝橋(たけしばばし)

東京都港区芝浦1丁目から芝浦2丁目に至る。

昭和46年架設、長さ40m、幅27mの鋼橋。新芝浦運河にかけられる。橋名は更級日記の竹芝故事からつけられた。

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狸橋(たぬきばし)

東京都港区白金5丁目と南麻布4丁目に至る。

昭和8年6月架設、長さ17.4m、幅3.64mの鋼橋。近くに狸そばがあるのに因んで名づけられたという。古川にかけられた橋。

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大野伴睦句碑/芝公園

東京都港区芝公園4−8

下高輪町に在住し、自由民主党副総裁も勤めた政治家。丸山西頂部にある句碑は昭和38年6月調理師法施工5周年にあたって、伴睦が長年調理師会の名誉会長として尽力した労に謝するため贈呈されたものである。碑には「鐘がなる春のあけぼのヽ増上寺」と刻まれている。

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大石主税以下切腹跡

東京都港区三田2−5−4イタリア大使館

大石主税ら10名がここで切腹しました。大石良雄(おおいしよしかつ)の長男大石主税良金(おおいしちからよしかね)は最年少16歳でありました。当時は四国伊予松山藩主松平穏岐守の中屋敷で、義士切腹の場所は掘りあげて池とし、その土で築山を作ったといわれています。明治以後公爵松方正義邸となり、現在はイタリア大使館になっています。(一般公開はされていません。)

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大久保彦左衛門の墓/立行寺

東京都港区白金2-2-6

立行寺は寛政7年(1630)江戸時代初期の旗本大久保彦左衛門によって創建され、寛文8年(1668)に現在の場所に移転しました。大久保寺とも呼ばれています。境内には鞘堂付の大久保彦左衛門の墓があります。(見学は要許可)

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大韓民国大使館

東京都港区南麻布1-2-5

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藻塩橋(もしおばし)

東京都港区芝浦3丁目にある。

昭和44年3月に長さ34.8m、幅22mの鋼橋完成。橋名は廻国雑記の歌「かやぬよりもしほの煙名にぞたつ船にこりつむ芝の浦人」からとったものであろうか、といわれている。

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曹渓寺/藤森天山の墓・寺坂吉右衛門の墓

東京都港区南麻布2−9−22

開山は絶江和尚。名僧であったところから絶江坂という坂名にもなっています。江戸時代の儒者藤森天山の墓(都旧跡)があります。また赤穂義士の中でただ一人生き残った寺坂吉右衛門夫婦の墓があります。吉右衛門は罪には問われず、当寺で夫婦そろって晩年を過ごし、83歳で亡くなりました。(墓地は公開していません。)

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善光寺

東京都港区北青山3−5−17

信州善光寺別院。慶長6年(1601)徳川家により谷中に信州善光寺の別院として設けられましたが、火事で焼失したため、現在の青山に移されました。境内には勝海舟の撰文による高野長英の碑、明治初期に人力車を発明した和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の功を伝える人力車発明記念碑があります。また、本堂には信州と同じく戒壇めぐりがあります。高野長英は幕府の対外政策を封刺した「夢物語」を書き投獄されましたが、伝馬町獄舎炎上を機に逃げ、各地を潜行しました。顔を焼いて人相を変え、沢三白という偽名を使っていましたが、青山の隠れ家で捕まりそうになり自害しました。隠れ家及び自決の地には現在青山スパイラルが建っています。山門である仁王門には「智」をあらわす仁尊像が安置されています。

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赤坂図書館

東京都港区南青山1-5-15

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斉藤茂吉居住の跡

東京都港区南青山4−17−43

青山脳病院があったところ。明治40年から昭和20年まで居住しました。昭和2年、養父の創設した青山脳病院を継ぎ、院長として病院経営にあたる傍らアララギ流の中心として活躍しました。「赤光」「あらたま」などの歌集のほか多くの歌論、随筆を残しています。寮入口は歌碑が建っています。二男の北杜夫が書いた「楡家の人びと」は斎藤家がモデルといわれています。

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青山霊園/大久保利通の墓

東京都港区南青山2丁目

公園墓地の草分けのひとつで23区内にある霊園としては最大の規模を誇ります。26万㎡の広大な敷地には桜をはじめ、いろいろな木が植えられています。桜の名所で、春ともなれば桜並木は人、人、人。園内を歩くと、青山脳病院院長としてこの地に住んだ斎藤茂吉や大久保利通(都旧跡)、国木田独歩など日本の近代史に名を連ねた政治家、学者、文人の墓があり、日本の歴史をたどるようです。

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杉田玄白の墓/栄閑院

東京都港区虎ノ門3-10-10

通称猿寺と呼ばれる同寺に、杉田玄白の墓があります。杉田玄白(1733〜1817)は江戸中期のオランダ外科医で、蘭学の祖。中川淳庵、桂川甫周、前野良沢と4年の歳月をかけオランダの解剖書を翻訳し、「解体新書」を刊行しました。その時の苦心の思い出を文化12年(1815)83歳の時「蘭学事始」に書いています。栄閑院は、通称『猿寺』と呼ばれ、寛永の頃(1624〜1643)、猿回しに扮した泥棒が寺に逃げ込み、住職に改心させられ猿を置いて諸国行脚に旅立ち、人に慣れた猿は寺の人気者になったことに由来します。

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水上バス[東京都観光汽船(株)]

東京都港区海岸2丁目7−104

<隅田川ライン><浅草・お台場直通ライン><お台場ライン><東京ビッグサイト・パレットタウンライン>

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新堀橋(しんぼりばし)

東京都港区東麻布2丁目から三田1丁目に至る

昭和44年3月長さ15.8m、幅2.7mの鋼橋。旧芝区新門前町(現三田1丁目)にあった橋で新門前橋といっていたという。

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新聞創刊地

東京都港区虎ノ門1−2虎ノ門交差点三井ビル脇

明治7年(1874)11月2日洋学者子安峻(こやすたかし)らが、虎ノ門外琴平町(ことひらちょう)1番地の旧武家長屋で、我が国初の本格的大衆紙読売新聞創刊しました。漢字にはふりがながつけられたので、市民から非常に喜ばれました。

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