観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
新浜橋(しんはまばし)
大正2年7月頃架設されたらしい。その後大正12年の震災で焼失したのち長く架設されなかったものらしい。古川にかかる。
新芝浦橋(しんしばうらばし)
昭和59年4月に完成。長さ56.1m、幅12m。
新港南橋(しんこうなんばし)
昭和54年3月長さ72m、幅27.5mで架設。港南とは港区の南端に位置するという意味であるという。
新古川橋(しんふるかわばし)
昭和10年3月架設、長さ16.2m、幅11.5mの鋼橋。古川にかかる。平成元年3月架け替え。
松尾芭蕉句碑/天現寺
区有形文化財の本尊昆沙門天や御影石多層式灯篭がある天現寺の境内に松尾芭蕉句碑がひっそりと建っています。碑にほ「一里はみな花守の子孫かや」と刻まれています。
松尾芭蕉句碑/善光寺
善光寺の奥庭の片隅にある美しい書体で書かれた松尾邑蕉句碑は、嘉永元年(1848)3月に門下生たちによって建てられました。碑には「山路来て何やら床しすみれ草邑蕉」と刻まれています。
小山内薫胸像/慶應義塾大学
小山内薫は、「築地小劇場」を開場、昭和24年6月の「海戦」「休みの日」の第1回公演以降、俳優を育て、多くの西欧戯曲を紹介しました。教授をしていたこともある慶應義塾大学の一画に建つ胸像は、没後30年にあたる昭和33年12月、友人や門弟たちによって、建てられたものです。
小山橋(こやまばし)
昭和36年3月架設、長さ15.8m、幅5mの鋼橋。当初は私道であったが、昭和30年区道認定により区の管理となる。
将監橋(しょうげんばし)
昭和43年7月長さ23.4m、幅17mの鋼橋。橋名の由来は、岡田将監(おかだしょうげん)の屋敷が近くにあったからという説、岡田将監が橋を掛けたためその名とがついたという説など諸説有り、正しくは不明。
書壇院ギャラリー
芝潟橋(しばがたばし)
昭和50年架設、長さ35.5m、幅26.6mの鋼橋。橋名は干潮時に見え隠れする干潟の意という。
芝園橋(しばぞのばし)
昭和59年3月架け替え、長さ19m、幅26m。大正15年1月に古川にかけられ、芝公園の橋という。
芝浦橋(しばうらばし)
昭和45年7月長さ43.1m、幅9.5mの鋼橋完成。橋名は芝浦にかかけられた橋の意であろうといわれている。
鹿島橋(かしまばし)
昭和5年架設、長さ36.2m、幅16.5mの鋼橋。橋名は隣接の鹿島神社の名をとったものであろう。
自由劇場
2003年11月、劇団四季創立50周年を記念した劇場。劇団四季の原点であるストリートプレイの上演を念頭にした小劇場で客席数は約500席。
四之橋(しのはし)
昭和6年1月架設、長さ16.2m、幅10.91mの鋼橋。古川にかけられた橋で、土屋相模守下屋敷前にかけられていたことから、相模殿橋ともいう。橋の南側には、白金商店街がある。
三之橋(さんのはし)
昭和8年3月に架設、長さ16.7m、幅7.5mの鋼橋。古川にかかる橋で当初は木橋で、松平肥後守下屋敷脇であったことから肥後殿橋ともいわれた。
三田図書館
斎藤茂吉居住の跡
青山脳病院があったところ。明治40年から昭和20年まで居住しました。昭和2年、養父の創設した青山脳病院を継ぎ、院長として病院経営にあたる傍らアララギ流の中心として活躍しました。「赤光」「あらたま」などの歌集のほか多くの歌論、随筆を残しています。寮入口は歌碑が建っています。二男の北杜夫が書いた「楡家の人びと」は斎藤家がモデルといわれています。
最初の麻布区役所跡
最初の赤坂区役所跡
最初の芝区役所跡/安養院
最初のフランス公使宿館跡/済海寺
安政6年8月フランス公使宿館の設置となり、公使ド・ベルクールが駐在しました。寺側の記録「外国書願留(がいこくしょねがいどめ)」1冊(区指定)が残っています。
最初のオランダ公使宿館跡/西応寺
安政6年9月公使宿館を設置。初代公使クルチウスらが駐在しました。慶應3年(1867)12月25日の薩摩屋敷焼き打ち事件のときに全焼しました。
佐藤春夫詞碑/慶應義塾大学
佐藤春夫は若き日、慶應義塾大学に学び、その由由清新な校風の中で文学者としての出発を用意しました。母校の一画(図書館裏)に建つ碑には、「殉情詩集」に収められている『断章』の一編が刻まれています。