観光

港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。

善光寺

東京都港区北青山3−5−17

信州善光寺別院。慶長6年(1601)徳川家により谷中に信州善光寺の別院として設けられましたが、火事で焼失したため、現在の青山に移されました。境内には勝海舟の撰文による高野長英の碑、明治初期に人力車を発明した和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助の功を伝える人力車発明記念碑があります。また、本堂には信州と同じく戒壇めぐりがあります。高野長英は幕府の対外政策を封刺した「夢物語」を書き投獄されましたが、伝馬町獄舎炎上を機に逃げ、各地を潜行しました。顔を焼いて人相を変え、沢三白という偽名を使っていましたが、青山の隠れ家で捕まりそうになり自害しました。隠れ家及び自決の地には現在青山スパイラルが建っています。山門である仁王門には「智」をあらわす仁尊像が安置されています。

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赤坂図書館

東京都港区南青山1-5-15

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斉藤茂吉居住の跡

東京都港区南青山4−17−43

青山脳病院があったところ。明治40年から昭和20年まで居住しました。昭和2年、養父の創設した青山脳病院を継ぎ、院長として病院経営にあたる傍らアララギ流の中心として活躍しました。「赤光」「あらたま」などの歌集のほか多くの歌論、随筆を残しています。寮入口は歌碑が建っています。二男の北杜夫が書いた「楡家の人びと」は斎藤家がモデルといわれています。

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青山霊園/大久保利通の墓

東京都港区南青山2丁目

公園墓地の草分けのひとつで23区内にある霊園としては最大の規模を誇ります。26万㎡の広大な敷地には桜をはじめ、いろいろな木が植えられています。桜の名所で、春ともなれば桜並木は人、人、人。園内を歩くと、青山脳病院院長としてこの地に住んだ斎藤茂吉や大久保利通(都旧跡)、国木田独歩など日本の近代史に名を連ねた政治家、学者、文人の墓があり、日本の歴史をたどるようです。

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杉田玄白の墓/栄閑院

東京都港区虎ノ門3-10-10

通称猿寺と呼ばれる同寺に、杉田玄白の墓があります。杉田玄白(1733〜1817)は江戸中期のオランダ外科医で、蘭学の祖。中川淳庵、桂川甫周、前野良沢と4年の歳月をかけオランダの解剖書を翻訳し、「解体新書」を刊行しました。その時の苦心の思い出を文化12年(1815)83歳の時「蘭学事始」に書いています。栄閑院は、通称『猿寺』と呼ばれ、寛永の頃(1624〜1643)、猿回しに扮した泥棒が寺に逃げ込み、住職に改心させられ猿を置いて諸国行脚に旅立ち、人に慣れた猿は寺の人気者になったことに由来します。

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水上バス[東京都観光汽船(株)]

東京都港区海岸2丁目7−104

<隅田川ライン><浅草・お台場直通ライン><お台場ライン><東京ビッグサイト・パレットタウンライン>

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新堀橋(しんぼりばし)

東京都港区東麻布2丁目から三田1丁目に至る

昭和44年3月長さ15.8m、幅2.7mの鋼橋。旧芝区新門前町(現三田1丁目)にあった橋で新門前橋といっていたという。

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新聞創刊地

東京都港区虎ノ門1−2虎ノ門交差点三井ビル脇

明治7年(1874)11月2日洋学者子安峻(こやすたかし)らが、虎ノ門外琴平町(ことひらちょう)1番地の旧武家長屋で、我が国初の本格的大衆紙読売新聞創刊しました。漢字にはふりがながつけられたので、市民から非常に喜ばれました。

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新浜橋(しんはまばし)

東京都港区芝浦1丁目か海岸1丁目に至る

大正2年7月頃架設されたらしい。その後大正12年の震災で焼失したのち長く架設されなかったものらしい。古川にかかる。

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新芝浦橋(しんしばうらばし)

東京都港区芝浦1丁目から海岸2丁目に至る。

昭和59年4月に完成。長さ56.1m、幅12m。

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新港南橋(しんこうなんばし)

東京都港区港南1丁目から港南4丁目に至る。

昭和54年3月長さ72m、幅27.5mで架設。港南とは港区の南端に位置するという意味であるという。

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新古川橋(しんふるかわばし)

東京都港区白金1丁目から南麻布2丁目に至る

昭和10年3月架設、長さ16.2m、幅11.5mの鋼橋。古川にかかる。平成元年3月架け替え。

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松尾芭蕉句碑/天現寺

東京都港区南麻布4−2−35

区有形文化財の本尊昆沙門天や御影石多層式灯篭がある天現寺の境内に松尾芭蕉句碑がひっそりと建っています。碑にほ「一里はみな花守の子孫かや」と刻まれています。

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松尾芭蕉句碑/善光寺

東京都港区北青山3−5−17

善光寺の奥庭の片隅にある美しい書体で書かれた松尾邑蕉句碑は、嘉永元年(1848)3月に門下生たちによって建てられました。碑には「山路来て何やら床しすみれ草邑蕉」と刻まれています。

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小山内薫胸像/慶應義塾大学

東京都港区三田2−15−45

小山内薫は、「築地小劇場」を開場、昭和24年6月の「海戦」「休みの日」の第1回公演以降、俳優を育て、多くの西欧戯曲を紹介しました。教授をしていたこともある慶應義塾大学の一画に建つ胸像は、没後30年にあたる昭和33年12月、友人や門弟たちによって、建てられたものです。

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小山橋(こやまばし)

東京都港区三田1丁目から麻布十番4丁目に至り古川にかかる。

昭和36年3月架設、長さ15.8m、幅5mの鋼橋。当初は私道であったが、昭和30年区道認定により区の管理となる。

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将監橋(しょうげんばし)

東京都港区芝大門2丁目、芝公園2丁目から芝2丁目に至る。

昭和43年7月長さ23.4m、幅17mの鋼橋。橋名の由来は、岡田将監(おかだしょうげん)の屋敷が近くにあったからという説、岡田将監が橋を掛けたためその名とがついたという説など諸説有り、正しくは不明。

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書壇院ギャラリー

東京都港区虎ノ門5-5-1 アークヒルズ仙石山テラス101

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芝潟橋(しばがたばし)

東京都港区芝浦2丁目から芝浦3丁目に至る。

昭和50年架設、長さ35.5m、幅26.6mの鋼橋。橋名は干潮時に見え隠れする干潟の意という。

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芝園橋(しばぞのばし)

東京都港区芝2、3丁目から芝公園2・4丁目

昭和59年3月架け替え、長さ19m、幅26m。大正15年1月に古川にかけられ、芝公園の橋という。

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芝浦橋(しばうらばし)

東京都港区芝浦4丁目から港南1丁目に至る。

昭和45年7月長さ43.1m、幅9.5mの鋼橋完成。橋名は芝浦にかかけられた橋の意であろうといわれている。

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鹿島橋(かしまばし)

東京都港区芝浦1丁目から芝浦3丁目に至る。

昭和5年架設、長さ36.2m、幅16.5mの鋼橋。橋名は隣接の鹿島神社の名をとったものであろう。

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自由劇場

東京都港区海岸1-10-53

2003年11月、劇団四季創立50周年を記念した劇場。劇団四季の原点であるストリートプレイの上演を念頭にした小劇場で客席数は約500席。

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四之橋(しのはし)

東京都港区白金1・3丁目から南麻布3丁目に至る。昭和60年3月架け替え。

昭和6年1月架設、長さ16.2m、幅10.91mの鋼橋。古川にかけられた橋で、土屋相模守下屋敷前にかけられていたことから、相模殿橋ともいう。橋の南側には、白金商店街がある。

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三之橋(さんのはし)

東京都港区三田2・5丁目から南麻布2丁目に至る。

昭和8年3月に架設、長さ16.7m、幅7.5mの鋼橋。古川にかかる橋で当初は木橋で、松平肥後守下屋敷脇であったことから肥後殿橋ともいわれた。

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