東京の素材で醸す、23区唯一の酒蔵 幕末の記憶と令和の杜氏をつなぐ「東京港醸造」の歩み

午前8時。都心のビルの間から白い湯気が立ち上り、お米を蒸した香りがふわりと漂っています。

港区芝のオフィス街に建つ4階建てのビル。その中で日本酒「江戸開城」を醸している「東京港醸造」にやってきました。普段、この酒蔵では見学会を行っていませんが、今回は酒造りの様子を見せてもらうことに。
都営地下鉄三田駅から徒歩5分、路地裏の一角に酒蔵とショップ、飲食店を構えます
都営地下鉄三田駅から徒歩5分、路地裏の一角に酒蔵とショップ、飲食店を構えます

東京の水道水を使った都心ビルでのコンパクトな酒造り

ここ東京港醸造は、芝のオフィス街の一角にあります。水源のないこの土地で、どのようにお酒を造っているのでしょうか。実は、東京の水道水を仕込みに使っているというのです。

杜氏の寺澤善実さんに、水道水を使用した日本酒造りについて話を伺いました。

「私は2000年からお台場にあった醸造所で酒造りをしており、その頃から水道水を酒造りに使えることは分かっていました。東京の水道水は高度浄水処理によって、安全性とおいしさの向上が図られています。清酒酵母の栄養分となるミネラルも適度に含まれており、私たちは日本酒造りに適した水だと考えています」

多くの酒蔵は地下水を仕込みに使っていますが、東京港醸造ではあえて水道水を使用。安全性だけでなく、酒造りに適した水質であることも、東京の水道水を選んだ理由の一つなのです。
仕込みに使われる荒川水系の水道水
仕込みに使われる荒川水系の水道水
杜氏の寺澤善実さん。都心で酒造りと20年以上向き合っています
杜氏の寺澤善実さん。都心で酒造りと20年以上向き合っています
ビルの中で行う酒造りは、全国の他の酒蔵に比べて非常に限られた空間での工程になります。どのように実現されているのでしょうか。

「お台場の醸造所では、10年間にわたり、52平方メートルのスペースで他の蔵を超える酒質の清酒を醸す挑戦を続けてきました。今、日本酒を造っている4階建てのスペースは171平方メートルあり、製造スペースとしてのイメージは十分に持てましたね」

4階には米を蒸す甑(こしき)と麹(こうじ)室、3階には仕込みタンクと分析室、2階には仕込みタンクと搾り機、1階には貯蔵タンクが設置されています。

米や麹は階段で、醪(もろみ)は床に開けた穴にホースを通して下の階へ下ろすことで移動。酒母はタンクごとベランダからウィンチ(重量物を上下移動させるための機械)を使って上げ下げし、タンク下に設置したキャスターで転がして移動させているのだとか。

縦長のビルで行う酒造りには、材料を移動させるためのさまざまな工夫が施されていました。
床に開けた穴から下の階へホースがつながっています
床に開けた穴から下の階へホースがつながっています
ビルの階段を上っていくと、少しずつ室温が上がっているようです。

「暖かい空気は上に、冷たい空気は下にたまる性質を利用して、室温30度ほどの暖かいスペースが必要な麹造りの工程は、最上階に配置されるように設計しています」

4階に到着したところで、ビルの下から見上げた湯気の正体も判明しました。毎回必ず1時間10分米を蒸すことで、日本酒の味を均一に保っているそうです。
4階でお米を蒸している寺澤さん
4階でお米を蒸している寺澤さん
外側は適度に硬く、内側は軟らかい「外硬内軟(がいこうないなん)」に仕上げることで、麹菌の繁殖を促し、発酵を順調に進めます
外側は適度に硬く、内側は軟らかい「外硬内軟(がいこうないなん)」に仕上げることで、麹菌の繁殖を促し、発酵を順調に進めます
蒸した米を投下口から3階へ落としている様子
蒸した米を投下口から3階へ落としている様子
3階では、甑で蒸した米を平らに広げて冷ます「放冷」の工程を行っていました。麹用の米は適温まで冷まして麹室へ運び、種麹を振りかけて麹を造ります。麹の酵素が米のでんぷんを糖に変え、その糖を酵母がアルコールに変えることで、日本酒の発酵が進みます。
麹造り用、酒母造り用、醪の仕込み用などに分けて、使用目的に応じた温度まで冷まします
麹造り用、酒母造り用、醪の仕込み用などに分けて、使用目的に応じた温度まで冷まします
2階は、多くのタンクが並ぶ仕込み室です。ここでは、タンクの下から振動スピーカーを押し当て、醪に音楽の振動を伝える実験も行っているそうです。

「発酵中の醪に振動を与え、発酵の状態にどのような影響があるのかを調べています。音楽の違いによって味や香りに変化が生じるのか、現在検証しているところです」

ジャズを聴かせた日本酒や、クラシックを聴かせた日本酒がショップに並ぶ未来も、そう遠くないかもしれません。
いろいろな曲を聴かせたお酒の飲み比べ会の構想もあるのだとか
いろいろな曲を聴かせたお酒の飲み比べ会の構想もあるのだとか
東京港醸造では、1週間に1回のペースで、年間を通して約50回の仕込みを行っています。

「他の蔵が造っていない夏の期間も、新しい日本酒を製造し続けている点が私たちの魅力だと思います。また、この酒蔵は高いビルに囲まれているため、直射日光が当たらず、真夏でも電気代金の節約につながります」

都心のビルには敷地や原料入手の点で制約もありますが、その立地の良さを生かしたコンパクトな酒造りが営まれています。

とっておきの東京みやげがそろう 変わり種づくしの直営ショップ

蔵のビルの向かいには、東京港醸造の直営ショップがあります。有料試飲もでき、お土産を選びに立ち寄るのも、芝散策の楽しみ方の一つです。
コンパクトな酒蔵の造りから、生産量にも限りがある東京港醸造のお酒。直営ショップでは、その希少な日本酒の試飲・購入が可能です
コンパクトな酒蔵の造りから、生産量にも限りがある東京港醸造のお酒。直営ショップでは、その希少な日本酒の試飲・購入が可能です
おすすめは、水、米、酵母といった全ての原料を東京産でそろえた「江戸開城 All Tokyo」。学生が集めた試料からアルコール発酵するものに絞り込み、味や香りに優れた酵母が選び抜かれています。

「東京バイオテクノロジー専門学校との産学連携によって、日比谷公園のハナバチから採取されたオリジナルの酵母『tokyo酵母』を使っています。北の丸公園の石垣や日比谷公園の草、樹皮など、約300カ所で採取した試料から選別された優良酵母です」

また、東京産の米と「yedo酵母」で醸した「江戸開城 All Edo」も人気です。yedo酵母は、明治期に発見された長い歴史を持つ清酒酵母です。

明治時代から受け継がれた「yedo酵母」と、専門学生が発見した「tokyo酵母」。時代を超えた東京産の酵母で醸す日本酒を、是非味わいに訪れてみてはいかがでしょうか。

さらに、空気由来の水で酒を仕込むという試みを実現した日本酒「Sustainable Sake Project Air」も、驚きのある一本。株式会社アクアムが開発・製造・販売を行う空気製水機により製水した水を使用しています。水資源の未来を考えるきっかけにもなる、サステナブルな酒造りの試みです。
左から「All Tokyo」「All Edo」「Sustainable Sake Project Air」
左から「All Tokyo」「All Edo」「Sustainable Sake Project Air」
日本酒になじみのない人に向けて、原料の全てが東京産という「東京あまざけ」や、その甘酒を使った江崎グリコの「ポッキー<東京あまざけ>」も販売しています。
ノンアルコールのため、お子様からお年寄りまで楽しめます。ポッキーと一緒にお土産に持ち帰るのも喜ばれそう
ノンアルコールのため、お子様からお年寄りまで楽しめます。ポッキーと一緒にお土産に持ち帰るのも喜ばれそう

江戸城無血開城の舞台とされる「若松屋」の復活秘話

ショップ見学を終えたところで、今度は、東京港醸造を運営する株式会社若松 代表取締役の齊藤俊一さんに酒蔵の歴史について話を伺いました。

「東京港醸造の前身は、1812(文化9)年、芝の地に創業した造り酒屋の『若松屋』です。幕末には薩摩藩の御用商人でもあり、西郷隆盛や勝海舟も訪れたと伝えられています。しかし、当時の高い酒税が重荷となっていたことや、1909(明治42)年に4代目が他界したことで廃業してしまいました」

その後、若松屋は飲食業を営み、戦後になってからは雑貨店を展開。齊藤さんは30代で不動産業界に携わるようになります。

「バブル直前の時代に、8軒分の土地をまとめて共同ビルを建てました。今、酒蔵になっている4階建てのビルは、私が住居としていた私有地のビルを改装したものです」

1999(平成11)年から、港区商店街連合会の副会長を務めており、地方の商店街を視察に行く機会が多かったといいます。地方のシャッター通りを見ているなかで、活気があったのが酒蔵だったのだとか。

「インターネットが普及し始め、物販業の成長に危機感を持ちました。『どうやって代をつなぐか』考えていたときに、シャッター通りで唯一にぎわう酒蔵を見て、うちも100年前まで酒蔵だったことを思い出しました」

酒蔵復活を検討していたとき、お台場にあった小規模な醸造所を見学したそうです。そこで、後に東京港醸造の杜氏となる寺澤さんに出会い、2人の酒蔵復活への挑戦が始まりました。

戦後、新規取得は難しいと言われてきた「清酒製造免許」の取得申請を2008(平成20)年から行い、2年後に「その他の醸造酒」と「リキュール」の製造免許を取得。2011(平成23)年、東京港醸造が開業し、どぶろくの製造を開始しました。

さらに粘り強く申請を続け、5年後には清酒製造免許を取得。約100年ぶりに酒造りが復活したのです。
芝で生まれ育った齊藤俊一さん。東京タワー建設の様子や、平屋が立ち並び空が大きく広がっていた幼少期の芝の景色が懐かしいそう
芝で生まれ育った齊藤俊一さん。東京タワー建設の様子や、平屋が立ち並び空が大きく広がっていた幼少期の芝の景色が懐かしいそう
東京港醸造を代表する銘柄名「江戸開城」には、どのような背景があるのでしょう。

江戸開城とは、1868(慶応4)年に新政府軍と旧幕府の間で行われた江戸城の明け渡しのことです。江戸城が血を流すことなく明け渡されたことから「無血開城」とも呼ばれています。

「この付近には幕末、薩摩藩の屋敷がありました。若松屋には西郷隆盛や勝海舟らが訪れ、奥座敷が江戸城無血開城に向けた密談に使われたと伝えられています。土地の歴史と、その功績への敬意を表し、『江戸開城』という銘柄名にしました」

時代の波にもまれながらも若松屋の歴史ある酒蔵をよみがえらせた齊藤さんの歩みと、若松屋に刻まれた歴史の足跡が重なり合って生まれた銘柄名だったのですね。
東京港醸造が運営する創作料理&バー「日本酒ラウンジtpb(ティーピービー)」の個室に飾られた掛け軸。西郷隆盛らが宿代の代わりに残したと伝えられています
東京港醸造が運営する創作料理&バー「日本酒ラウンジtpb(ティーピービー)」の個室に飾られた掛け軸。西郷隆盛らが宿代の代わりに残したと伝えられています

日本酒の価値を次世代へ 「滞在できる酒蔵」を目指したブランディング

「江戸開城」をはじめ、酒蔵の全商品のラベルデザインから、店舗デザイン、ホームページ制作までブランディングを手がけたのが、代表・齊藤俊一さんの長女で、株式会社若松 専務取締役兼アートディレクターの齊藤かえでさんです。

「日本酒自体が和のものなので、『江戸開城』という漢字を使ったデザインは難しいと感じました。漢字の名前を製品として、いかに現代的なブランドとして成立させるかに悩みました。英語にすれば丸く収まるのですが、漢字を用いると生々しくなってしまいがちです」

かえでさんは「江戸開城」の4文字を一つのオブジェクトと捉え、文字に動きを持たせたり、あえてラベルからはみ出させたりすることで、デザインに一体感を持たせました。

「従来の日本酒らしさに捉われず、タイポグラフィや素材の質感まで含めて、江戸開城ならではの世界観を表現しています」
株式会社若松 専務取締役兼アートディレクターの齊藤かえでさん
株式会社若松 専務取締役兼アートディレクターの齊藤かえでさん
東京港醸造の日本酒と創作料理が楽しめる「日本酒ラウンジtpb」の構想も、かえでさんのアイデアがきっかけだったそうです。

「もともと弊社では角打ちをやっていたのですが、キッチンカーの飲食店営業許可の有効期限が切れるタイミングで、自社ビルの10階が空くタイミングとも重なりました。寺澤さんのおいしい日本酒を、自社ビルでもっと大胆に表現していきたい。自分たちが持っている資産をフル活用したいと考えました。それに、私たちの酒蔵は小さいため、『お酒を買って帰る』というのがデフォルト。滞在してもらえない点にも、もったいなさを感じていました」

ビル10階にある、酒蔵プロデュースの日本酒ラウンジ&バー。かなり新鮮なコンセプトですよね。

「そうなんです。当店では、店のスタイルをラウンジ&バーにしたり、日本酒のカクテルを作ってみたりと、さまざまな挑戦をしています。『日本酒は居酒屋の飲み物』というイメージを払拭していきたいですね」
店内はかえでさんの好きな黒色を基調に、大理石や木材などの多様な素材で黒を表現しています
店内はかえでさんの好きな黒色を基調に、大理石や木材などの多様な素材で黒を表現しています
東京港醸造のコーポレートカラー・黒であしらわれた「日本酒ラウンジtpb」のロゴ
東京港醸造のコーポレートカラー・黒であしらわれた「日本酒ラウンジtpb」のロゴ
東京港醸造は2026年、清酒製造免許の取得から10年という節目を迎えました。かえでさんは、東京港醸造の未来をどのように見据えているのでしょうか。

「これまでの10年は、勢いでなんとか乗り越えてきたような感覚があります。これからの10年は、今まで培ってきたものやデータなどを整理して、さらに素晴らしい会社に昇華させていきたいと考えています。現在は製造量が頭打ちになっているので、酒蔵を大きくしたり、ビル周辺の土地でお酒を造ってみてもいいのではないかと考えたり。23区唯一の酒蔵という資産をどのように活用していくか、次の課題としてわくわくしているんです」
東京港醸造10周年の記念ラベル。おちょこも一緒に。黒と白の2色でシックにまとめています
東京港醸造10周年の記念ラベル。おちょこも一緒に。黒と白の2色でシックにまとめています
今回のインタビューを通して、日本酒をおいしく造る技術はもちろん、その味を魅力的に映すビジュアルや、都会で醸造するという付加価値がそろうことで、より素晴らしい商品になるのだと教えてもらいました。

「日本酒の消費量が減っている今、まだ日本酒を飲んだことのない若い世代にも、その魅力を次のトレンドとして発信できる、唯一無二の酒蔵になりたいです」と、かえでさん。

江戸時代から芝の地で酒蔵を営み、約100年のブランクからよみがえった東京港醸造。コンパクトな醸造法や日本酒の概念を覆すブランディングなど、さまざまな工夫や試みを重ねながら、日本酒の新たな楽しみ方を提案しています。
【東京港醸造 直営ショップ】
住所:東京都港区芝4-7-10
アクセス:都営地下鉄三田線・浅草線「三田駅」から徒歩5分
時間:月~金曜11:00~19:00、土曜11:00~17:00
休業日:日曜、祝日
電話:03-3451-2626
【日本酒ラウンジtpb】
住所:東京都港区芝4-7-8 芝ワカマツビル10階
アクセス:都営地下鉄三田線・浅草線「三田駅」から徒歩5分
時間:火~金曜17:00~22:30、土曜14:00~21:30
休業日:日・月曜、祝日
電話:050-1724-4222

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